Mon seul Tresor｜リアクション

Mon seul Tresor

　一陣の風が二人の間を割り、師である火焔燐の赤い三つ編みを揺らす。零は小さく息を吐き出すと、太刀を構えた。切っ先を向けられてもまだ余裕を失わない燐だったが、事実零が全力を出しても倒せるかどうかは分からなかった。
　だからこそ、コレが最終試験なのだ。
　全力で戦い、師を倒す。勿論、本気で殺すわけではない。零の持つ刀も弓も、切っ先には加工がされており、例え急所を狙ったとしても死ぬ事はない。
　風に葉が舞い、零は地を蹴って一気に燐との距離を縮めた。袈裟懸けに斬りかかり、振り下ろしたその勢いのまま胴を払う。素早い二段構えの攻撃だったが、燐は零の肩に手をつくと頭上を飛び越え、あっさりと背後を取って背中をトンと押した。２歩ほどつんのめり、振り向き様に小刀を投げる。燐が手刀で叩き落し、一瞬出来た隙を見逃さずに零が側面へと走りこんで腰を狙うが、燐の刀が防ぐ方が早かった。
　零の刃と燐の刃がぶつかり合い、小さな火花が咲く。零が刃を押し、反動をつけて後ろに飛び退くと弓を射る。真っ直ぐに燐の心臓へと向かった矢は途中で切り伏せられ、二つに割れると地に落ちた。
　燐が木の幹を蹴って走り出し、零が追いながら弓を射る。燐が投げた小刀を避け、師の動きを予想しながら狙いを定める。背中を追いかけるだけでは、矢は当たらない。相手の考えの先を行かなければ、絶対に倒せない。
　零の頭が高速で回転し、燐の動きがコマ送りになる。今までの動きが残像のように浮かび上がり、現在の燐の背中と重なる。像はさらに続きを描き、未来の動きを風景に縫い付ける。
　見えている未来が消えないうちに、零は矢を放った。燐が矢を避ける事も想定済みだった。完全に避け切る前に矢を放ち、零は刀を構えた。最後に放った矢は燐の足元へと突き刺さり、後ろへと勢い良く飛び退く。グラリと、想定していない動きで燐が後ろへと倒れこみ、零は刀を捨てて手を伸ばした。
　ゆっくりと地面が割れ、燐の姿が落ちて行く。伸ばした指先は空を切り、水音が辺りに響く。崖下を覗き込めば川が流れており、燐のつけていた黒いリボンだけが木の幹に引っかかって揺れていた。

　結局燐は見つからなかった。
　自力で川から這い出した形跡はなく、下流に流れ着く事もなかった。
　あそこの地盤が脆いとは、知らなかった。
　踏んだくらいで崩れてしまうなど、誰が想像しただろうか。
　あれは事故だった。
　けれど、事故の引き金を引いたのは、零だ。
　零は、大事な師匠を自らの手で殺めてしまった……。

　元の世界に帰ってきても、零の心は晴れなかった。師を殺す瞬間を久しぶりに見た。最近は色々な出来事があって、見る事はなかったのに。
　あまりにも日常が忙しく、過去を顧みる暇がなくて忘れてかけていた。
　過去は拭えず、事実は変えられない。
　大切な人を殺めた零の手は血塗られており、決して洗い落とせるものではない。
　許されない罪を命果てるまで背負い生きるのが、零に科せられた罰なのだから ――。