あなたの望む過去｜リアクション

あなたの望む過去

　店構えは明らかに本屋でガラス越しに本棚が見える。レジの前の台には平積みされた書籍が置いてあった。
「小説か」
　八神修はドアを開けて店の中に入った。瞬時に事情を察して携帯電話で時間を確認した。門限が決められていない星ヶ丘寮であっても限度はある。
「また、おかしな現象に巻き込まれたか」
　然して驚いた様子は無く、白い空間を冷静な目で眺めた。
「いらっしゃいませ」
　タキシードの人物を前にして修は口を開いた。
「ここの目的を教えて貰えますか」
「承知致しました」

　修は重厚な扉の前に立っていた。右手に持っていた紙の内容に目をやる。

　寝子島高校を受験する為に必要な説得の材料
　一　全国レベルの成績を落さない。
　二　生活を乱さない。
　三　家の不利になる言動はしない。

　自筆で書かれた三箇条を無表情で握り潰した。丸めた紙は速やかにポケットに収めてドアを三回、ノックした。
「入りなさい」
「失礼します」
　修は扉を開けると同時に頭を下げた。部屋に入りながら後ろ手で扉を閉める。音はほとんどしなかった。
　革張りの椅子に座る父親の前に修は進み出た。両者は大きな机を挟んで向かい合った。
「お前を呼んだ理由は一つ。今後の進路のことだ」
「わかっています。私は決められた進路を選択します」
「小さな島にある私立高校を希望していたのではないのか？」
　父親は対象の腹の内を探るような目をした。
「私の気の迷いでした。青臭い発言をしたと、今では反省しています」
「そうか、お前の考えはわかった」
　父親は机上の書類に目を落とす。失礼します、と修は音を立てずに部屋を出た。
「これも必要な行程だ」
　修は廊下を歩きながら硬い声で言った。

　目立つ廊下にテストの成績が貼り出された。相当な数の生徒が足を止めて、悲しみと喜びの入り交ざった声を上げている。
　通り掛かった修は一瞥して教室に入っていった。教壇から近い窓際の席に着いて携帯電話に届いた膨大な数のメールを確認する。
「八神くん、少しいいかな」
「手短に頼む」
　修は携帯の画面を見ながら答えた。
「僕は中学の時、学年でトップの成績だった。三年間、その地位を譲ることはなかった。高校でもそのつもりで臨んだ」
「それがどうかしたのか」
　気のない声で修は返した。相手の顔は紅潮して呼吸が速くなる。
「それなのに結果は見た通りだよ。八神くんが一位で、僕が二位だった。なぜなんだ？　僕のなにがいけないんだ？　キミと僕にどんな違いがあるっていうんだ！」
「潤沢な資金で質の高い教育を受ければいい」
「ぼ、僕は予備校に通っているし、参考書も揃えている」
　相手の甲高い声に眉を顰めた修が横を向いたまま、言葉を浴びせた。
「お前の親の年収は幾らだ」
　相手は両頬を引き攣らせて大股で教室を出ていった。

　夕闇が迫る帰り道。修は前方に親子連れを見かけた。玩具屋の前でねだる子供に母親が手を焼いている。
　母親は三十代の前半。ワンピースに羽織るカーディガンの袖は少し波打っていた。苦労を隠す為なのか。顔に塗られたファンデーションはかなり厚めで首の色との違いが際立っていた。
　修は親子連れを避けて歩いた。
「哀れだな」
　感情に乏しい声は夕暮れに吹く風に、どこか似ている。

　修は白い空間に表情を緩めた。
「白紙に戻されるというのも、たまにはいいな」
　修は早速、財布を取り出した。一万円札に目が留まる。しかし、指は五千円札を選んで、近くにいたタキシードの人物に謝礼として手渡した。
　相手は丁寧に頭を下げた。
「本日はご利用、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう」
　修は感情の籠った言葉を返した。