店が開く。本日最初の客は栗原 瑞穂だ。
　鎖骨の下まである亜麻色の髪。すらりとした長身で華のある容姿をしている。ラフなデニム姿でも不思議ときまっていた。
「涼しいー。クーラー最高だわ」
　瑞穂は店内に入ると顔を撫でる冷たい風に顔をほころばせた。
「いらっしゃいませ、こちらにどうぞ」
「ありがと」
　人里が瑞穂を席へと案内する。テキパキとした動きだった。メニューを渡しお冷をもらいにカウンターに向かう。
　……最初に比べると、接客上手になったでしょうか？
　そんなことを考える余裕も生まれてきた。
　瑞穂は人里にアイスラテを頼むと鞄から数学の課題を机に並べ、よし、と気合を入れる。本日は勉強をしに来たのだ。桜花寮の自室にいると漫画の誘惑に負けてしまう。飲食禁止の図書館に長時間いるのはキツイ。息抜きタイムが無いのもキツイ。そういうわけで、後輩から噂を聞いたカフェにやってきたのであった。
「お待たせしました。アイスラテです」
「おいしそうね。ねえ、あなたってもしかして寝子高の子？」
　注文の品を運び終えた人里は突然の質問に少し驚いたようだ。すぐに小さく深呼吸してにこりと微笑む。
「はい。1年生です」
「やっぱり。廊下で見かけたことがある。私も寝子高生よ。学年はひとつ上だけどね」
「そうなんですね。2年生の先輩もここでバイトしている人がいるんですよ。先輩とお友達かもしれませんね」
「ふふ、今度その時間帯にも遊びに来るわ。私は栗原 瑞穂。よろしくね」
「東雲 人里です。えっと、どうぞご贔屓にしてください」
　人里はぺこりと頭を下げてカウンターに戻っていった。
　瑞穂はアイスラテのストローを口にくわえながら数学の課題に戻る。数学は苦手なのだ。これだけが手つかずで残ってしまった。
　後輩の前でサボるわけにもいかないしね。
　苦笑しながら問題に向かうといつもより集中できて、シャーペンのカリカリとした音が続いた。



　続いての客は早坂 恩と御薗井 Ｅ セレッソである。
　先に着いた恩は外から店内の様子を軽く確認する。まだセレッソは来ていない。少し早目に来たのだ。席は空いている。入り口の草花は手入れが行き届いており、コーヒーを入れていた麻袋が「どうぞご自由に」と置かれていた。ちょっと暇なのでさわってみる。と、そこでセレッソがやってきた。
「恩センパイ、早いのネ！」
　白い歯を見せて笑うセレッソ。屈託のない笑顔に、自然と恩も笑顔になった。
「セレッソちゃんとたくさんお話したかったの。さ、中に入りましょ」
「スィ！」
　恩が自然な流れで扉を開け、セレッソを先に店の中へ入れた。人里に案内されて席に座る。セレッソは珍しそうに店内をきょろきょろと見回した。
「こういうおしゃれなカフェってあまり入ったことないワ。コーヒーの香りでいっぱいナノ！」
　何を頼めばいいのかなーとメニュー表をのぞきこむセレッソ。あれれ、駅にあるようなコーヒー屋さんとは少し違うようだ。産地？　苦み？　知らない言葉がたくさんあるワ！
　頭の上にたくさんのはてなマークを浮かべたセレッソを見て、恩はメニューのいくつかを指で示した。
「注文はケーキとコーヒーよね。よかったら、ふたりでラテアートをお願いしましょうか」
「おそろい、嬉しいワ！」
「ふふ。せっかくだからお互いの絵を選んでみない？」
「えっと、恩センパイのラテアートをワタシが頼むのネ！　わかったワ！」
　パァっと微笑むセレッソ。右手をあげて人里を呼んだ。セレッソの声を聞いて近くの席に座っていた瑞穂が顔をあげる。デート中なのだろうか。かわいくて元気な彼女ね、と微笑ましい気持ちになる。
「オーダーお願いね。ラテアートふたつ。私はカフェ・モカで彼女はラテで。と……セレッソちゃん、ケーキは何にする？」
「あっ、ケーキはおすすめがいいノ！　いつものくださいってやつナノ！」
　いつもの、ですか？　と少し慌てる人里に恩のフォローが入る。
「人気のベイクドチーズとベリーのムースケーキにしようかしら。あと、ラテアートはこういうのってお願いできる？」
　恩がテーブルのナプキンに文字を書いて渡す。人里は大丈夫ですよ、と微笑んだ。
「店員サン！　お耳貸してほしいノー」
　えっとねー、とセレッソは目を真ん丸にしてじーーっと恩を見つめた。店員の人里を自ら呼んだはいいがまだ何を頼むか考えてなかったらしい。だから今考えた。
「もしょもしょもしょ……デ！」

　カウンター。
　店長は人里からラテアートのオーダーを聞くと勇を呼んだ。
「橘君、いいかい？　あちらのお客様のラテアートをひとつお願いしたいんだけど」
「俺ですか。いいんですか？」
「うん。片方が少し時間がかかりそうでね。自分でふたつやるとラテが冷めてしまいそうだから。簡単な方をお願いするよ。これ頼むね」
　店長が勇にメモ書きしたイラストを渡す。
　……。
「すみません、これは何ですか」
「え。ひよこだよ？」
「ひよこですか」
「ひよこだねえ」
　これは、ひよこなのか。
　まあ、丸い形だし自分でもできるだろう。
　勇は黙々とラテアートを作った。

　注文の品がテーブルに並ぶとセレッソの瞳はますます輝きを増した。瞳の中の星がきらきらと光り、美味しそうにごくりと唾をのんだ。
「ワタシのチーズケーキとってもカワイイワ！　赤いソースでハートが書いてあるノ！」
「私のケーキは紫のソースでお花が書かれているわ。綺麗ね」
　セレッソのプレートには苺のソース、恩のプレートにはブルーベリーのソースで描かれていた。店長はこういう細かい作業が好きである。店が暇なときには勇や刀に菓子作りを教え込み、スイーツ男子を増やそうとしているらしい。
「恩センパイのラテ、それ……ワタシ？」
「惜しいわ。セレッソちゃんに似た子だけどね」
　セレッソが恩のラテアートを見て小首をかしげる。恩のラテには頭の上にふたつのぼんぼんがついてる犬が描かれていた。パピヨンである。先日、恩は散歩中のパピヨンを見てセレッソを思い出した。今回はセレッソを見てパピヨンを思いついた。
「こうしたほうが見やすいわね。はい、どうぞ」
　恩はセレッソが見やすいようにラテを180度回転させる。セレッソは嬉しそうに胸の前でぱちぱちと手を叩いた。
「ワタシはコレをお願いしたノ！」
「あらあら。かわいいひよこさんね」
「ケーキもいただきマース！　もぐもぐ……。ボーノ！」
「ふふ。ソースがはねちゃったわよ」
　リスのようにもぐもぐと口を膨らませていたセレッソ。恩の指が口元をぬぐうと数秒笑顔のままでかたまった。
　1秒。2秒。3秒……。
「セレッソちゃん？」
「ヘ？　アラ？　あ……お、美味しいケーキネ！」
「ふふ。そうね、とっても甘酸っぱくておいしいわ」
　ムースを食べ始めた恩が話しかけると、ぱちぱちと瞬きをしてセレッソは再びニコニコとケーキを食べ始めた。
　なんだか、さっきはいつもと違ったワ？
　お顔が少しポカポカするノ。
「せっかくですもの、お互い一口ずつ交換ってどうかしら？」
　お先にどうぞ、とムースの皿が寄せられる。セレッソは礼を言ってムースを一口貰った。
「恩センパイのケーキおいしいノ！　ワタシのケーキも！」
　そう言って、セレッソは自分のフォークに刺さったチーズケーキを恩に向けた。
「あーん」
　ニコニコと邪気のない笑顔で言われる。
　恩はあらあらと笑うと、少し屈むようにしてフォークからケーキを貰った。
「おいしいわ。ありがとう」
「……」
　少し近い距離で言われて、再びセレッソの顔がぽかぽかとしだした。
「……！　わかったノ！！」
「？」
　なんで今日いつもと違うのカシラって。今日はずっとテーブル越しに向かい合って座ってたからだワ。隣の方が安心するのカシラ。
「あのね、センパイ」
「なあに」
「お店出たらね、また手を繋いでほしいノ！」
　え、えへへー。
　はにかみながら上目づかいでお願いされ、恩は目線を斜め下にずらしたが口元は自然とほころんでいた。