お前にとって俺の存在は何だと聞いた事がある。
それに対し時任はこう答えた。
『腕時計のようなもの』、と。
肌身離さず身につけてないと落ち着かない装身具。
自分の魅力をより引き出し引き立てるための実用的な小道具。
そうして鼻で笑ってこう続けた。
「どうせ身につけるなら見栄えのいいものがいいだろう」
多少の優劣の差こそあれ、すべての凡人は等しく自分の引き立て役だといわんばかりに。
「やるよ。誕生日だろう」
だからこそ時任が自ら腕に巻いた時計を外し、無造作に投げてよこした時は面食らった。
反射的に手を出し受け取っておきながら持て余せば、時任は心底あきれた顔をする。
「まさか忘れてたのか?」
「……お前と違って暇じゃないんでな」
「暇かどうかが自分の誕生日を忘れる事と関係あるのか」
痛い指摘に憮然と押し黙る。
年末、受験も押し迫ったこの時期は最後の追い込みをかける学生が多く家庭教師のバイトも忙しい。
一方、実家と絶縁し奨学金を貰いながらバイトを掛け持ち生活費を稼ぐ俺と違って時任は暇を持て余している。
コンサート活動は年明けから再開する予定だそうで、十二月いっぱいは家族との団欒に務めるのだと本人から直に聞いた。
冬枯れの立ち木の狭間、灰色の空へ白い吐息が上っていく。
もうすぐ雪が降り出しそうな、重く雲が垂れ込めた曇天だ。
煙るような冬空から視線を断ち切り、たった今時任から投げ渡された腕時計を困惑げにためつすがめつする。
「スイスの優良メーカーの一点ものだ。電池さえ変えれば半永久的に使えるぞ」
「品質は保証つきか」
お前のおさがりなど冗談じゃないと突き返したらどんな顔をするだろうと内心思い巡らすも、表に出すことなく呟く。
「こういうモノは実際使ってみなきゃよさがわからないだろう。清貧を心がけるだけじゃつまらない、ファッションには遊び心も大切だ。お前はもう少しいいものを身につけろ、俺が恥ずかしくないようにな」
「こんな高そうな物もらえない」
「素直に受け取れ。いらないなら質に流せ」
同情されてるのか。それとも友人の厚意を同情と曲解してしまう俺が卑屈なのか。
白い息を吐きつつ憫笑する時任、一見優しげともとれるその目にちらつく優越感と憐憫を含んだ嫌らしい表情に胸が疼く。
向かい合い揉める俺達に通行人が迷惑そうな一瞥をよこす。
往来の真ん中で延々押し問答する醜態を避け、腕時計を握り締めたまま無言で立ち竦めば、そんな俺を頭の先から爪先までを値踏みするように眺めて時任が微笑む。
「捨ててもいいぞ」
それはもうお前のモノだ、好きにしろと、余裕の笑みで暗に告げる。
腕時計に限らない。
昨日の夜ベッドで愛を囁いた恋人も、少しでも飽きたその瞬間に一切の未練を捨て去ることができる。
所有権をそっくり他人に譲り渡してどんな酷い扱いをされようが顧みない、いかなる哀訴にも懇願にも流されない、関心が失せた対象はどこまでも冷たく非情に切り捨てることができる、それが俺が知る時任彼方という人間だ。
その腕時計はシンプルなデザインで、俺の趣味に合った。
まるで俺の好みを知り抜いて誂えたような……まさか。
「どこで買ったんだ」
「先月家族とスイスに旅行した時にな」
「一か月しかたってないぞ」
「使ってないのがまだたくさんある、日替わりで付け替えるのも一興だし物惜しみはしない主義だ。それに」
おもわせぶりに言葉を切り、右手をこれみよがしにひらつかせる。
「腕時計をしてると勘が鈍る。ピアノを弾くのに邪魔だ」
「じゃあなんで買ったんだ?」
「もちろん、その時欲しいから買った。手に入れたい、独り占めしたい、誰にも渡したくないと思ったからそうした。一番最初に見初めたのはこの俺なのに後出しでかすめとられるのは心外だろ。すぐ飽きる悪癖は否定しないが」
「独占欲はあっても所有欲はないと」
「手に入れたら大概はそれで満足する、どうせ劣化するのに後生大事に死ぬまで持ち続けていたいとは思わない。ごくわずかな例外を除いてな」
「手に入らないから欲しがるのか。子供だな」
「それで手に入った途端興味を失う繰り返しだ。お前の女も、」
「時任。怒るぞ」
名前を呼び捨てるのは牽制の合図。
望まぬ方向に流れかけた話を一方的に打ち切り、手にした時計はコートのポケットに突っ込み、底意地悪い笑みで俺の反応を面白がる男を足早に追い抜こうとする。
もはや不愉快でしかない時任の表情は視界に入れないよう注意し、ポケットに落としこんだ腕時計の存在を嫌でも意識させられ神経質になりつつ、気は進まないがと自分に言い訳しつつ口を開く。
「とりあえず礼は言う。恩知らずと謗られて後腐れるのはいやだからな」
肩で押しのけるようにすれ違い際、ポケットに入れた腕をぐいと掴まれる。