またあの夢を見た。
遠い悲鳴、磯の香り、熱い砂の感覚、
妹の穂香(ほのか)が浮き輪と共に、
沖のほうへ押し流されている夢。
引き潮に引っ張られ、沖のほうへずいずい流されていったらしい。
浮き輪に乗って辛うじて溺れてはいないものの、
今にも泣き出しそうな妹の顔が見えていた。
遊んでいた波打ち際までは足はつけるが、
海岸は遠浅でも部分的に深い所がいくつもある。
足のつかない所まで進むと、クロールをして進んだ
「待ってろ、兄ちゃん今いくからな!」
かなりの距離を泳いだかも。
あともう少しの所で妹が乗った浮き輪に手を伸ばそうとした時、
唸るような波が来た。 体ごと持ち上げられて
顔面をもろに波が打ち、見えない圧力に手足を絡めとられる。
まるで無数の透明な手が僕の身体を
水底に繋ぎとめるように、沈めていく。
そこには暗く深く、怖ろしく青い世界が待っていた。
泡沫の舞う空に手を伸ばしても、永遠に届きそうにない。
この巨大な水溜りの中、一個人の足掻きはいかに無力なんだろうか。
身体が重く、水は冷たくて、息ができない。
―あと少し、あと少しなのに・・・―
海面から悲鳴が聞こえても、遠い彼方のものになっている。
視界が淀んで何も見えなくなり、耳障りな潮騒だけが
あの世から聞こえる歌のように鳴り響いた。
最後に遠くでざぶんとかすかに音がしたと思えば、
何かが僕をぐっと引き上げるような気がした。
手だ。力強い手が空へと引っ張り上げられていく。
この手はきっと神様かナニカだと信じた。
明るい水面を見上げ、最後の息を肺から搾り出す・・・
夢はそこでいつも終わるが、目覚めればその先を思い出す。
何者かに海面に引き上げられた僕を、まるで何事もなかったように
妹のきょとんとした顔が浮き輪から見下ろしている。
その何者かは僕に浮き輪をつかませて、
肩を叩いて「大丈夫か?」と、にいっと笑っていた。
彼はオレンジと黄色の水泳キャップをかぶり、
釣り針の飾りのネックレスをしていたと思う。
地元のライフセーバーに助けられたのだ。
彼のゴーグルはきらきらと日光を乱反射している。
「この距離は無茶だぜ。今度から気をつけてな」
浜がここからとても遠いのに気づき、
陸にあがるまでずっと身体中に悪寒が走っていたのを覚えている。
海から上がって7月の熱気に包まれても、
しばらくは波の音しか聞こえなかった。
(了)