親愛なる神父様
ごきげんよう、ゼシカです。お元気ですか?
故郷ドイツを発ち早数か月、季節は初夏。神父様はどうお過ごしでしょうか。孤児院の皆は元気でしょうか。寂しがって泣いてはおりませんでしょうか。
……いえ、神父様がいるならきっと大丈夫ですわね。神父さまは子供を泣き止ませるのがとってもお上手ですもの。わたくしがやきもちを焼いてしまうほどに。
ふふ、冗談ですわ。
でも神父様が孤児院を守ってくださるから旅立ちの決意ができましたのよ?わたくし一人では子供たちをおいていけませんもの。
覚えてらっしゃいますか?
両親を亡くしたわたくしが泣いてたら、神父様は優しく微笑んで肩車をしてくださいました。
そしてわたくしにこんなお話を聞かせてくださいました。
昔々、とある村に幼くして子供に死なれた母親がいた。母親は毎日泣き暮らしていたが、ある晩夢に子供が出てきた。彼女の子供は水瓶を背負う苦役の行列に従事していた。何故、と問う母親に子供は乞うのです。
もう泣かないでお母さん。
貴女が流す涙のせいで水瓶が重くて天国へ行けない、と。
子が背負う水瓶の中身は母親の尽きせぬ涙でした。
それを聞いてから、わたくしは頑張って泣かないようにしてまいりましたの。
わたくしの涙を天に昇る両親の足枷にはしたくありませんから。
神父さまはわたくしに大切な事を教えてくださいました。
いくつも、いくつも。生きていく上で欠く事のできぬ魂の教えを授けてくださいました。
寝子島への派遣が決まった時は正直悩みました。
故郷を離れる心細さ以上に神父様とお別れするのが寂しくて、一度は依頼を断ろうと致しました。
そんなわたくしの背中を押してくれたのもまた神父様でした。
わたくしは神を愛しております。
わたくしは神を信じております。
神の愛は人を救うと信じております。
たとえ天に裏切られ運命を呪うことがあっても、乞う人の腕(かいな)に愛は注ぐ。
神に裏切られ天を呪う人々に、わたくしの言葉はただの綺麗事ととられるでしょうか。わたくしの言動はただ闇雲に憎悪をかきたてるだけでしょうか。
それでも、わたくしは思うのです。
強く信じてやまないのです。
冬枯れの街をさまよい歩く子供にマフラーを巻く老婦人、ただでさえ残り少ないマッチを分け与える乞食、盲いた目で教会のステンドグラスを見上げる人の顔に描きだされる透かし模様、仰向いた顔をぬくめる澄んだ光、みどりごの笑顔、いとけない握り拳。
皮膚病を患った野良犬の背をいたわるようになでる掃除夫の節くれた手
公園のベンチで寄り添う老夫婦が重ね合う手
背景の雑踏に流される事なくへたくそな人形芝居を見守り礼儀正しい拍手を捧げる子供と、たった一人の観客に、深々と丁寧に一礼する人形師……
それら世界を構成する小さきもの全てに愛が宿ると、わたくしは信じてやみません。
人が心の片隅に善意を宿している限り、神が作り給うたこの世界はきっと信じるに足るもので在り続ける。
わたくしの目に映る世界は美しい。
もっとも汚いものにふたをして知らないふりをする欺瞞と傲慢、そう指をさされたら反論できません。
それでもわたくしは信じたい。
どん底で打ちひしがれた人々へ、もう何も信じられないと絶望した人々へ。
貴方の存在はけしてどうでもよくなんかないのだと、生まれてきたことには意味があるのだと、誰からも見落とされ忘れ去られた貴方の魂の輝きを、天にまします主だけは心に留めて忘れないでいてくれると説きたいのです。
誰からも顧みられぬよるべなき人々にとって、自分を見守り続けてくれるひとの存在は支えと救いになるから。
それを思うとわたくしが初めて出会った神は、神父様だったのかもしれませんわね。
信仰は魂を磨く砥石。
シスターは天命を帯びた天職だと自負しております。
神父様はわたくしの恩人にして育ての親、最愛の父ともいえる人物。
後見人であり師弟であり……多分そう、初恋のひと。
シスターとなったわたくしが殿方に嫁ぐ事は生涯ないでしょうが……
「……今でもお慕い申し上げてます、なんて書けませんわよね」
多感に目を潤ませ、赤らめた頬で困惑げに万年筆をおく。
この手紙を出すことはきっとない。
だからまだ、ふたりの関係に名前はついていない。