人が恋に落ちる瞬間を初めて見てしまった。
吾輩は携帯である。名前はルール―。嘘である。お茶目である。だから許してほしい。
吾輩のご主人様は女王様である。名前は最上るるか。イケメン大好きミーハー肉食系ギャルを自称して憚らない、何か勘違いした女子高生こと略してKJKである。なおソ連の某秘密諜報機関とは無関係であることをここに追記しておく。
昨今の中高生にとって携帯スマホは必需品、日常生活に欠く事のできないコミュニケーションツールである。世知辛いイマドキ事情、塾通いの小学生とてお子様ケータイを持っている。
ある意味あるじの穿く下着よりあるじに近しいとさえ言える存在の吾輩を、こともあろうにその日あるじはうっかり机の中に忘れてきてしまったのだ。
失礼千万である。
そもそも授業中教科書を立て、手元でぺほぺほ携帯をいじっているからこんなミスをやらかすのだ。
吾輩は健全な携帯であり、放置プレイに興奮する倒錯した性癖は生憎ともちあわせておらぬ。三つ前の席のスマホならいざ知らず、だ。
それに吾輩の体内にはあるじの身内友人をはじめ、読者モデルとして所属する事務所まで、大事なアドレスが多数保存されている。吾輩なしではあるじはもう生きていけないカラダなのだ。なんともエロスな言い回しである。
そんなわけで前略二時間ほど、吾輩は机の中で憤慨していた。
「いっけなーい、忘れちゃった☆」
まったく反省のない声と共にカラフルなネイルで飾り立てた指がのびてくる。
吾輩をむんずと鷲掴み、まずは新着のメールをチェック。あるじは「ふむふむ」と軽く頷き踵を返す。
余談だが、読者モデルをやってるだけあってあるじはスタイルがとてもよい。なのであるじが颯爽と踵を返すと、ただでさえ丈の短いスカートが翻り、はちきれんばかりに瑞々しい太腿がチラ見えする。眼福である。
容姿も合格点であるし、これでもう少し慎みがあればさぞモテるだろうに、全く惜しい物だ。
無事吾輩を手中におさめたあるじは、メールをぺほぺほ打ちながら廊下を歩いていたが、ふいに「ん?」と顔を上げきょろきょろする。
一体どうしたというのだ?
いや、待て。
廊下の向こうから音楽が聞こえてくる。ヴァイオリンの演奏だ。
吾輩の記憶が正しければ、あるじが顎を上向け凝視する方角には確か音楽室があるはず。
ということは、あのムッツリ音楽教師がヴァイオリンを弾いているのだろうか。
斜め45°の角度から見上げる口元がニンマリ弛む。
「誰が弾いてるんだろ?行ってみよ!」
でかい独り言である。さすが現役JKJ、おばかである。
否、あるじのために釈明しよう。正確にはこれは独り言ではない、吾輩に語りかけているのだ。ただ吾輩は携帯であるが故にしゃべれず、よって会話が成立しない。
だからあるじが虚空に向かって語りかける痛いKJKに見えてしまうと、ただそれだけの現実である。
たしかにあるじは勉強ができず、頭の出来は若干可哀想かもしれない。だがけして空気に話しかけるほど孤独ではないと断っておく。
吾輩は気付いていた、あるじの掌がほんのりぬくもっている事に。
「どんなヒトかな?まさかセンセってオチはないよね」
小走りに駆けながら、不安と期待の綯い交ぜとなった完膚なきオトメのカオで呟き、豊かな胸の谷間に吾輩をぎゅっと押し付ける。
吾輩は自然、不可抗力で乳房と密着する羽目になる。役得である。
「こんなステキな演奏なんだもの、きっと王子様みたいなイケメンだよね!」
呼吸を弾ませ走るあるじ。
薄いシャツに包まれた胸の高鳴りが直に伝わってくる。
嗚呼、あるじの胸の弾力は特筆に値するものだ。
さすが現役KJK。
吾輩はあるじの携帯である。もう三年もの歳月を共にしている。この三年、様々な新機種が生まれては消えて行った。しかし見かけによらず義理堅いあるじは一度も機種変を行わず、たまに教室に置き忘れたり便器に水没させるなどのポカをやらかす以外は、吾輩を大事に扱ってくれた。
大リーグボール養成ギプスのようなストラップの錘には辟易するが、これもあるじの愛情表現だと解釈している。
吾輩はあるじに感謝している。
あるじの幸せを祈っている。
だからこそ、気付いてしまった。
あるじがこの音に恋してしまった事に。
無理もない、吾輩は常にあるじの鼓動を一番近くで聞いているのだ。
こうしている今も上昇の一途の鼓動の高鳴りと心拍数の変化を肌で感じ取っているのだ。
嗚呼、KJK。恋する女子高生よ。
吾輩は携帯である。よってキューピットとしては役不足である。
せいぜい唐突に着メロを鳴らし、音楽室の引き戸に隠れてこっそり視姦せんと企むシャイなこん畜生の存在を知らしめる位しかできない。
吾輩自身も素朴な興味が沸いてきた。
ミーハーメンクイなあるじを演奏だけで虜にする汝は誰ぞや?
うっとり潤んだ目にドピンクのハートマークを浮かべ、一路廊下を駆け抜けるあるじ。