「……レ、……グレ、シグレったら!僕の話、聞いてる?」
「え、ああ、すまん、ぼーっとしてた」
幼馴染のレイが怒るでも呆れるでもなく、きょとんと不思議そうな顔で俺を見つめてくる。
母国から体の弱かった幼馴染が此処、寝子島にやってきたのはつい先日のこと。
ただ遊びに来たと言うのではなく、俺と同じく留学という形で長期滞在すると言うことを知って大層驚いたのは記憶に新しい。
というか今でも驚いている。
てっきり星ヶ丘寮に入っているのかと思いきや、星ヶ丘教会のシスターが管理している館に下宿しているということを知って更に驚いた。
息子のことを何よりも大事にしているレイの両親がよく許したなと思ったが、信仰に篤い善良なシスターが管理しているということと、館が元外交官のもので建物や庭などがそれなりのものということで了解が取れたようだった。
そしてその館の庭園に招かれ、薔薇と幻想生物の彫像に囲まれながら久々に幼馴染と一緒に茶を飲むことになったのだが。
「本当に恋愛は人を変えるね」
「ぶっ……!?」
最近の出来事を頭の中で整理しつつ紅茶のカップを口に付けた所、レイが不意にとんでもないことをいうので思わず紅茶を噴きかける。
「ななな何言って……っ」
「だって彼女のこと考えてたんでしょ?薔薇のお嬢さんのこと」
「……なんでそう決めつける」
「なに言っても無駄な抵抗だよ。顔にかいてあるもん」
レイはにこにこと無邪気に笑ってそう指摘すれば紅茶に口をつける。
思わず俺の口からは溜息が洩れ、頭を抱える。
「そんなに解りやすいか、俺は」
「うん、すごく」
正直な幼馴染の即答に更に溜息が漏れる。
本当にどうしてこうなった。
自分はもう少し理性的な人間だと思っていたのに。
いや、そうだったはずなのだ、少なくとも英国にいた頃は。
それが、変わってしまった。
「悪いことじゃないと思うよ、変わるのは」
カップをソーサーに置いてレイが呟く。
眼鏡の奥の細められた翡翠がいつだって隠し事を易々と見通すことを、俺はよく知っている。
「人は一人じゃ物語を作れない。君が今まで織り成して来た物語もそれは素晴らしいものだったけれど、やはり欠けていたモノがあった。欠けたピースは1つじゃないから、今はそのピースの1つが埋まったにすぎないけれど。でも、兎にも角にも、今のシグレは今まで以上に幸せそうだもの」
「…………」
無言は肯定の意だ。
頬杖をついてそっぽを向いていても、それは確かにレイに伝わるだろう。
まだ16年と少しの短い人生だが、家族や友に恵まれ、彩られてきたことは確かだった。
しかし寝子島に来て、いままでキャンバスになかった色がぽとりと落ちてきた。
そして、その色が加わったことで俺という絵は変わった。
変化を端的に言えば、花が咲いたのだ。
見事な赤い薔薇が。
最初こそ認めがたかったが、レイが言うようにそれは良い変化に違いなく。
願わくば、キャンバスに描かれた薔薇が永劫枯れることがないようにと。
こういうときばかり都合よく神に祈りを捧げる自分の都合の良さに、思わず自嘲めいた笑みが漏れる。
「でさ、シグレ」
「ん?」
話題が変わるのかと思い、視線をレイに戻せばそこにはきらきらと輝く笑顔があった。
物凄く、嫌な予感がする。
「告白のとき、君なんて言ったのさ?君のことだからきっと物凄く歯が浮きそうになる表現使ったんでしょ?ねぇねぇ、何て言ったの?今度恋愛小説も書いて見ようと思ってるから参考に」
「するんじゃねーよ!誰が言うか!!」
思わず立ち上がって吠えれば、レイは子どものように頬を膨らませる。
レイに悪意はないのは解っている。
でもだからこそ性質が悪いのだ。
「えー、シグレの意地悪。いいよ、じゃあお嬢さんの方に聞くから」
「やめろ。マジでやめろ」
「じゃあ教えて」
「そ、それは……」
「お嬢さんって星ヶ丘寮だったよねー」
「レイぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
幻想的で美しい庭園に俺の怒声が響く
傍に建つクピドの彫像が笑っているように見えたのはきっと気のせいだ。