礼拝堂の中央には像があり、周囲は壮麗なステンドグラスに彩られている。
普段は大勢の人達が集まるこの場所だが、今日は人がまばらなようだ。
>花風
俺に教義を語れというのか……。いや、聞いたら答えるってさっき言ったばかりだったな。
その言葉は……つまり、「コリント人への第一の手紙」の十章十三節の言葉だと思うが……。
ここで大事なのは、その試練が本当に神が与えたもうたものなのか、だ。
もとより神が提示した教義に反したことに関して苦痛を伴う問題に出会ったのならば、それは試練ではない。
単に教義に関する罰だといえる。最も、この一節の捉え方によれば、その"罰"もまた乗り越えられる試練であるという解釈も出来る。
つまり、その罰を受けて、教義に反したことを自ら戒めて再び信仰に立ち返ればその試練を乗り越えたことになる。というわけだ。
大切なのは"乗り越えられる"とはいっても、その乗り越える方法が自分にとって都合の良い方法だとは限らんということだ。
>後堂
どうやら、話が通じないらしいな。
いいよ、そっちがこっちの話を聞く気がないなら、こっちもお前の話なんざ知らん。