◆正々堂々
　一瞬訪れる静けさの中、小さく足音が鳴る。紳士風の怪人が音に気が付き振り返れば、そこには大きな体をした男。尾鎌 蛇那伊が立っていた。

「あなたが噂の怪人ノコギリ紳士ね？　アタシは尾鎌 蛇那伊よ。アナタを止めに来た刺客。って言ったら格好つけ過ぎかしら」
「ご機嫌麗しゅうミスター尾鎌。ノコギリ紳士と呼ばれているかは定かでありませんが、ワタクシはジャッキー・エッジと申します。以後お見知りおきを」
　蛇那伊に声をかけられたジャッキーと名乗るその怪人は、シルクハットを取り礼儀正しくお辞儀をする。

「遠慮とかが必要ない相手だと純粋に武を試せて嬉しいわ。いざ、尋常にとは言わないけど勝負！」
「そうでしたか。失礼。では此方も遠慮をしては失礼に当たりましょう。遠慮せず参りますぞ」
　構える蛇那伊を見て、ジャッキーも受けて立ちましょう。と言う様に、腕のチェーンソーをギュイイインと、耳を劈く音を鳴らし回転させ始める。刃の鋭さ、回転の速さを見れば、人体に触れれば瞬時に切断出来てしまうだろうことが分かるその武器を目にして、蛇那伊は表情を崩さず呼吸を整える。

（一瞬の油断が命取りになりそうね。しっかりと呼吸を整えて。ふぅ……リーチが結構ありそうだし、同じ動き出しではダメね）
　蛇那伊はジャッキーの主となる武器であるチェーンソーを見据える。腕の如く動かせ小回りの聞く動きを見れば、リーチや破壊力の面を見て不利であることが分かる。それが二本ともなれば、同じ動き出しでは一方的に切り刻まれてしまうことだろう。それでも蛇那伊は焦りを見せず動じない。

　それには理由があり、蛇那伊は、呼吸を整え体内に気を練り上げ、練り上げた気を全身に巡らす錬気を行い、五感を研ぎ澄ませ反応速度や身体能力を増幅させる戦闘スタイルを持っている。戦う前から呼吸を乱せば戦闘能力は低下してしまう。心と呼吸の乱れはそれだけで不利を作り今より窮地に追い込まれてしまうのだ。蛇那伊は数々の経験から平常心を保ち続ける心の強さを発揮し、先ず目の前の怪人に対し、対等に対峙することが出来た。

「ふむ。武器を持ち合わせていないようですね。ワタクシだけ武器を使用するというのも些か堂々に欠けるでしょう。武器を用意する時間は必要ですかな？」
「心遣い感謝するわ。でもアタシの武器はこれだけでもう完成されているの。気にせずいつでも初めて構わないわ」
「ふむ。心得ました。では、行きますかな」

　ジャッキーの両腕のチェーンソーが同時に回転を始める。刹那、ジャッキーが駆け出し、片腕を曲げ前方に構え、蛇那伊目掛け踏み込んでいく。

（一点だけ見てはダメ。腕だけ見れば詰め寄る距離からの薙ぎ払いの一撃に見えるけれど。踏み込む距離から脚の重心が前すぎる。やや手前からの突きを放ってくるつもりね。つまり）
　迫り来るジャッキーを見据え、ジャッキーが腕を動かす瞬間、蛇那伊は体を半歩横に移動させ、素早く回転するチェーンソーの突きを回避する。

（突きを放ったことで重心が前に傾いてる。今後ろに下がることは強靭な肉体の力と判断がなければ不可能よ。距離を詰めるのなら……今！）

「コォォオオ、ハァッ！」
「ぐぅぅうううッ！！」
　蛇那伊はジャッキーにすり足から素早く近寄ると、ジャッキーの胴体に肩を当て、呼吸により気を足先から肩まで伝わらせ、重心を前に傾けると同時に肩を突き出し力を叩き込む。刹那、ジャッキーの身体が大きく弾かれ、後方に吹き飛びジャッキーは滑りながらよろめきなんとか体を保たせようとしている。

　今のは寸勁という打撃方法だ。密着状態からでも力を出す打撃方法である。刃物を振り回す或いは突き出し打ち出すには距離が必要。それなら密着状態が一番安全な距離となる。密着状態で放てる効果的な技を繰り出せることが、蛇那伊が素手で完成した武器と言った理由だ。

「なるほど良い技をお持ちだ。ならば惜しまず使わせてもらいましょう」
（む、帽子を掴むにしては力の加わりが大きいわ。なるほどね）
　ジャッキーが帽子のつばを掴んだ刹那、ジャッキーが帽子を蛇那伊目掛け投擲させる。素早く移動する帽子を蛇那伊は軌道を読み屈み回避する。通常質量の少ない帽子が素早く移動することはない。刃が仕込まれていたのだ。ジャッキーは不意打ちを読まれ顔をしかめる。

「ではどちらに転ぼうとも最後にしましょう。ハァァアアッッ！！」
　ジャッキーが頭を円心を描き回転させ、髪から無数のメスを散開させ、周囲に飛翔させながら、両腕のチェーンソーを振り回し蛇那伊目掛け突撃してくる。

（がむしゃらな攻撃。本人もどう動いているか理解していないわね。視線から行動を読むことは出来ないわ。でも）
　体の動きは筋肉によるもの。数々のマッサージや武道の経験から筋肉の動きを見続けてきた蛇那伊には、これからどう動くか筋肉から伝えられていた。蛇那伊は少しずつ下がりながら距離を測り、ジャッキーの頭部が上を向いた瞬間、すり足で踏み込み、ジャッキーの両肩に両手で裏拳を放ち、チェーンソーの動きを身体に当たる寸前で止める。そして素早く両手をジャッキーの顔面、そして胴体に滑らせ、チェーンソーの刃が体に到達するより先に、全身の気を乗せた寸勁を放った。ジャッキーの体を宙に浮かび上がり、放物線を描き地面に降下する。

「ガッ……ワタクシの……完敗……ですな……」
「ええ、そうみたいね。アナタ気持ち良かったわ」
　敗れたジャッキーは、倒れたまま姿が消えていった。その様子を見届け、蛇那伊は良い練習になったわ。と礼を送った。