ある闇夜に灯火を｜リアクション

ある闇夜に灯火を

　マリエッタ・ラシュリエは、不思議な空間にいた。辺りは暗く、何もない。夢の中なのだろうか。
　少し先に、ぼうっとした光が生まれた。暖かい光だった。近づいていくと篝火とわかる。炎は赤く燃えていたが、少し黄色がかっても見えた。
　篝火に手をかざすと、少し炎が大きくなり手に触れた。熱くはなかったが、反射的に手を引っ込めようとすると、炎の中に思い出が映し出された。

　長距離恋愛中の恋人、ナオの姿が映っていた。
（……これ、初めて出会ったときの）

　大学の卒業設計で完全に煮詰まってしまい、マリエッタは気分転換にと、１泊旅行で京都の町を訪れた。新撰組の史跡巡りツアーではぐれ、道に迷って困っていたところで声をかけられた。留学中のアメリカから一時帰国中で、京都の友人のもとを訪れていたナオ――嶋村直之との最初の出会いだった。

　あのときは、ナオが恋人になるなんて思わなかった。
　懐かしい気持ちと、少し恋しい気持ちが混ざり合う。
　暗闇の中、篝火らしき光はまだ点々と続いている。

　次の篝火に触れると、マリエッタがナオの留学先のボストンを訪れたときの思い出が映し出された。
　あのときはちょっとしたことでケンカになった。それから滞在中はずっとお互いに気まずいままだった。周囲がはらはらする中で、互いにどうしたら仲直りできるか、その一歩を踏み出せないまま最終日がきて──結局、搭乗締め切り直前になってしまったのだった。

「ナオ」
　ナオがマリエッタの方を向く。無言のまま目が合う。
　マリエッタは不意打ち同然に、互いの唇を重ねた。
『ごめんね』
　そんな言葉代わりのキスをしたのだった。

　篝火を辿る度に、他にもいろいろと思い出した。
　一つ一つの思い出に、時にクスリと笑ったり、時に切なさに胸を詰まらせたり。
　その度に、ナオに会いたくなった。

　懐かしい気持ちよりも、恋しい気持ちが強くなる。
　会いたい、声が聞きたい。

　（今度また、電話かけようかな……）
　そう思ったとき、急に辺りの暗闇が晴れた。気がつけば現実に戻っていて、マリエッタは自分の部屋にいた。

　今度また、と先程はそう思っていたのだが、マリエッタはナオに電話をかけていた。
「……ねえ、ナオ、今日は暇？　そう……少しあなたとお話がしたいの」

　夢など見たくない。
　朝鳥さゆるは、睡眠薬を使って、泥沼のような眠りに身を沈めた……はずだった。

　けれども、今彼女がいるのは夢の中。明晰夢というものなのだろうか。
　真っ暗な闇。どこか遠くに感じられる空気感の中、遠くに橙色の明かりが見えた。近づいてわかる。篝火らしい。

　何の気なしに近づいて、炎に手をかざす。篝火の炎は暖かな色をしていたが、手に触れたのはなぜか冷ややかな空気だった。
　なぜ？　そう思うのと同時に、篝火の中に過去の思い出が映し出される。
　その光景に、さゆるの気怠い無表情――実年齢より６、７歳は年上に見える硬質な、人形のような美貌――が、ハッとしたような驚きに彩られた。

「藍人……」
　我知らず声に出していた。２年前のクリスマスの夜にいなくなった、最愛の人、片篠藍人。
　あの喪失の夜が映像として、目の前の篝火に映し出される。

　２年前のクリスマスの夜。さゆるはバーで隣に座った男を見た。
　見覚えのある顔。心臓が止まってしまうほどの驚きが襲う。あなた生きていたの、と、さゆるは我知らず口に出していた。
　２人は愛し合っていた。しかし藍人はさゆるに何も言わない。
　そのとき騒動が起こった。藍人は黙ったままさゆるの手を引き、階段に向かって走り出した。
　そして藍人はさゆるを階上に送ると、騒ぎの中へ消えてしまった。
　そのまま二度と、姿を見せなかった。さゆるはまた彼を失い、泣いたのだった。

　心の奥底にしまいこんでいた記憶が思い起こされる。できれば思い出したくなかった。最愛の人を失ったという事実を再確認するだけだから。

　篝火は、暗闇の先に点々と続いていた。
　また彼のことだったら、と少しためらった。けれども、灯火が見せるまやかしだとしても、彼の姿を目にできるなら、と足を進める。

　次の篝火へ近づくと、さらに光景が浮かぶ。
　悪夢すら優しく感じられる夜の果てに訪れたのは、更なる深き夜。
　殺されるはずだった命を、藍人に救われた……のではなく、２人で夜の底へ堕ちていった。
　果てしなき夜の底へ。

　篝火が見せる映像はどれも、他人から見れば狂っている、としか思えない、２人の関係。
　傷つけ合い、犯し合い、貪り合う。
（だけど、それ以外にどうしたらいいの？　あたしたちはこんなやり方でしか愛せない）

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ある闇夜に灯火を

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