それぞれの回想｜リアクション

それぞれの回想

　味よりも量と安さを売りにしている店がある。連日、サラリーマンやＯＬが押し掛けてきた。今日は大学生が主役で、ほとんどの席を演劇サークルの連中が埋めていた。舞台の話しに盛り上がり、注文した品を頬張る。熱気で掛けている眼鏡が曇った。配られたおしぼりで額や首の汗を拭く者もいた。
　出入口に近いカウンターに三谷賢二がいた。深緑のパーカーに青いジーンズを穿いていた。自身の顔に手で風を送りながら席を立つ。
「ちょっとだけ涼みに出るんで」
「食い逃げすんなよ」
　先輩の笑いながらの声が飛ぶ。
「しませんよ。その気なら腹が割れるくらいまで食べますって」
「そりゃ、そうだ」
　上がる笑い声の中、賢二は外に出た。少し驚いたような顔になる。
「こんなに暗いのか」
　何時間も店の中で過ごしていた為、日が落ちたことを知らなかったのだ。賢二は左右の道に目を向けた。路地の左手に街灯を見つけて何とはなしに歩き出す。
　街灯の光は暗がりでスポットライトのように見えた。その中心に賢二は立った。瞼を閉じて誇らしげに顔を上げる。すっと両腕を開いて口元に笑みを湛えた。カーテンコールで拍手を受ける役者の顔付きであった。
　そうだ、この感覚だ。全てを舞台に出し切って受ける観客の拍手。俺を包み込んで高揚させる。そうだ、これを求めていた。
　俺は皆に認めて欲しかったんだ。
　賢二の幼い頃が断片的な映像で頭に過った。

　スタートラインに横一列に並ぶ。賢二は赤い頬っぺたで先生の合図を待っていた。「用意」の声で上体を少し前に倒す。パンと火薬の軽い音で飛び出した。
　賢二は腕を思い切り振った。揺れる視界でゴールラインを捉えて頭から突っ込んだ。納得の走りで笑顔となり、二位を勝ち取った。

「今日は皆さんに嬉しいお知らせがあります」
　教壇に立った先生の顔はにこやかであった。いつも以上の機嫌の良さに生徒達は期待の目を向ける。私語もなくなったところで発表に移った。
「前に皆さんが出した作文コンクールで入選した生徒が二人います。これから名前を言いますので拍手をお願いしますね」
　二人の名前が挙げられた。入選を果たしたのは賢二であった。最後は大賞に相当する賞ということで担任から絶賛された。

　賢二は成果を親に伝えた。その度に渋い顔をされた。
「一番じゃないのね。お兄ちゃんはいつも一番だったのに」
「ごめんなさい。二番で」
　賢二は笑顔を作った。不意の目の潤みに居間を飛び出し、誰もいないところで声を殺して泣いた。

　ある日、親の呟きを偶然に耳にした。
「あの子はいつも二番。賢二なんて名前にしたのがいけなかったのかしら……」
　ランドセルを背負ったまま、賢二は後退りした。泣きそうな顔で玄関まで行く。そっと外に出ると我慢の限界を迎えた。
　賢二はがむしゃらに走った。何度も転んで掌と膝を擦り剥いた。それでも叫びながら足を動かす。
「二なんて数字、世の中からなくなれ！　二が付く俺も消えてしまえ！」
　涙と汗に塗れた顔で賢二は叫び続けた。

　休日、賢二は文房具を買いに自転車で遠出した。隣町に入ると何故か周囲の目が集まる。自転車ではない。人々の視線は頭部に向いているようだった。
「そうか、俺の髪か！」
　地毛は茶色で光の加減によっては赤毛にも見える。髪の色だけで目立つ。積極的に動けば他者が無視できない存在になれるに違いない。
　瞬く間に賢二の表情が晴れた。

　瞼を開けた。賢二は自身の髪に手を入れる。
「俺に似て、この髪は自己主張の塊なんだよな」
　賢二は軽快な足取りで店に戻ると、笑顔の輪の中に飛び込んでいった。

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