肺に溜めて、溜めて、いっぱいになったブルーな空気を、一気にではなく細く長く、いつまでも吐きつづける。ゆっくりと。
三折部 朝衣の現在だ。
ため息、と言ってしまえばそれまでだろう。しかし実際にはもっと深くて、悲哀と、諦念と、ほんの少しの同情まで入り交じった長い長い呼気である。
現在の朝衣の心中を因数分解してみれば、〈ほれ見ろ言わんこっちゃない〉が三割、〈あんなにかけた予算が……〉が三割、〈どうせ最後は私に『なんとかしてくださーい』って泣きつくんでしょうよ〉が三割。残り一割くらいは、〈気の毒〉とか、〈いつもピーカン天気みたいな町長がこんなに落ち込んじゃって〉といった具合になるだろうか。
寝子島町役場の町長室。
中沢 リッカルド町長は、机にべったりと伏せっている。
いつもなら無駄に声が大きく、無駄に前向きで、無駄に陽気な地中海性おじさんである。多少のトラブルなら「大丈夫です!」「なんとかなります!」「人生はフェスタですよ!」の三段活用で押し切る男だ。その彼が、今日は机に額を押しつけたままぴくりとも動かない。
「今年のゆかたまつり……ピンチですー」
毎年恒例の『七夕ゆかたまつり』、七月七日の寝子島すべてが、夏の祭典の舞台となる催しだ。今年もまた話題性と観光収入をめざすべく、盛大に行われる予定である。昨年の大成功に気を良くしたリッカルドは「今年のフェスタはより大々的に、ベリッシマにまいりましょう!」などといって結構な予算を投入、内外の著名人を招聘して派手な広告活動を展開していたのである。
先週まではそれでよかった。天気予報も「七夕の夜は快晴でしょう」だったから。
それが、にわかに雲行きが怪しくなり直前となったこの時点では、当日は朝から雨、とりわけ、ゆかたまつりのメインとなる夕方から夜にかけては滝のような集中豪雨になるという予報に変化してしまったのである。なのに前日も翌日も快晴予報なのだ。ピンポイントに七日だけを狙ってきたようにしか見えない。
「……なんとかしてくださいよぉ、朝衣さぁん……」
やっぱり来た。
朝衣は半眼になった。
「今年は特に力を入れていたんですよぉ。屋台も増やしましたし、特設ステージもありますし、浴衣コンテストには有名モデルさんも来ますし、短冊ロードも作ったんですよぉ」
「知ってます。全部、誰が段取りしたと思ってるんですか」
低い声で返すと、リッカルドはますます沈み込むような声になった。
「だって、去年より盛り上げたかったんです。七夕ですよ? 一年に一回しかないんですよ? この日寝子島にいるすべての人に、楽しい思い出を作ってほしくて」
「気持ちはわかりますけど、そもそもお天気頼みのイベントに、大きな予算をかけるのがまちがいだったんです!」
ぴしゃりと言い切る。リッカルドは、机に突っ伏したまま「ううっ」と情けない声を漏らした。
「屋外イベントなんて、最後は天気次第なんですよ。どれだけ広告を打とうが、有名人を呼ぼうが、立派なステージを組もうが、雨が降れば人は来ない。浴衣だって濡れるし、足元だって悪いし、小さい子なんて風邪を引きます」
「それはそうなんですけどぉ……」
「なのに、去年の成功に浮かれて規模を広げすぎたんです。言いましたよね? リスク分散が必要です、屋内プランも考えておきましょうって」
「言われました……」
「代替会場も押さえておきましょうって」
「言われましたぁ……」
「予算を使い切る前に、雨天時対応を──」
「もう許してくださいぃ……」
めそめそと泣き言を言いながら、リッカルドは顔だけを上げた。目元がしょんぼりしている。
「天の神様は、織り姫と彦星を会わせたくないのでしょうか……意地悪です……」
「知りませんよ、そんなこと」
ばっさり切り捨てて、朝衣は窓の外へ目をやった。
役場の向こうに広がる空は、突き抜けそうなほどの快晴だった。これが七夕当日にはころりと手のひらを返して、怒濤の雨をよこすとはにわかには信じがたい。しかし八種類くらい調べた天気予報は、すべて同じ結論を示していたのである。悲しいけどこれ、鉄板なのよねというやつだ。
七夕の日に限って雨が降る、というのは、なんというか、できすぎている。悪い意味で。
浴衣を新調してもらった子もいただろう。屋台を楽しみにしていた家族もいるだろうし、年に一度だからと意を決して誰かを誘った人もいるかもしれない。短冊に願いを書いた子どもたちだっているはずだ。
織姫と彦星が会えるかどうか、なんて本気で信じているわけではない。
それでも、人はそういう物語を口実にして、少しだけ特別な夜を期待するものなのだ。
その期待が、雨ひとつで流される。
なんとも後味が悪い。
朝衣は細く息を吐いた。
そして机の上に広げられた資料を、ぱらぱらとめくる。
完全中止。
規模縮小。
一部屋内移行。
メインの時間帯変更。
できることは、ゼロではない。
面倒だ。非常に面倒だ。おそらく徹夜コースである。
けれど。
こういうときに「なんとかする」のが、結局は自分の役目なのだろう。
「……まだ中止と決まったわけじゃありません」
ぼそりとつぶやくと、リッカルドの顔がぱっと輝いた。
「本当ですか!?」
「ただし、相当無茶をします。あちこちに頭を下げます。予算も追加です。町長もちゃんと働いてください」
「働きます!」
「あと、今度からは最初に雨天時プランを──」
「作ります!」
「絶対ですよ」
「絶対です!」
どうせ半分くらいは忘れるのだろうな、と思いながら、朝衣はあらためて、資料をしっかりと読みはじめた。
傘をさせない織り姫のために。
星の見えない夜でも、誰かが笑えるように。
マスターの桂木京介です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
三折部 朝衣さん、ガイドへのご登場ありがとうございました。
ご参加の際は、このガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。
おことわり
本シナリオは『1372年7月7日』のものとさせていただきます。これは桂木京介独自の時間軸であり、他のマスターさんのシナリオ展開については前提に含めていません。ねこぴょん後の展開についても同様とさせてください。ですのでもちろん、『今後成立予定』とされている出来事を既成事実として扱うことはできません。その旨、あらかじめご理解いただけますと幸いです。
概要
今年も例年のお祭り『七夕ゆかたまつり 1372』が開催の運びとなったのですが……なんと当日は、結構な雨です。朝から昼まではわりと静かな雨なのですが、夕方六時あたりから雨量は増し、車軸を流すような大雨が九時ごろまでつづきます。ですがここで雨は上がる模様です。
ですが! だからといって落ち込む必要はないでしょう。
怒濤の雨に負けず通りを浴衣で闊歩したり、寝子島神社に詣でたり、「シャワー付き!」と豪語して露天風呂につかってみたりと、元気のないリッカルドも目を見張るようなポジティブぶりで楽しむのもありかと思いますし、逆にインドアを決め込んで、自宅で浴衣パーティをしてもいいのではないでしょうか。
あるいは、開き直って濡れ鼠ゆかたまつりという趣向もありです。幸い、暑いくらいの一日なので、遊んだあとはさっさとスーパー銭湯にでもいけばさっぱりできます。
もちろん、「せっかくの計画がぁ……」とビニ傘片手にしょんぼりするのも、これはこれでシナリオの楽しみ方だと思います。
NPCについて
制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。いつも書いていますが私は、特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場できるようチャレンジします。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、交際相手、そろそろここのネタ思いつかなくなってきたな、えーと、★の入ったボールを七つ集めたらなんだ、龍が出てきて願いをかなえてくれるという冒険話の主人公と相棒の少女……など)を書いておいていただけると助けになります。
参考シナリオについて
参考シナリオがある場合は必ずタイトルとページ数も記入くださるようお願いします(2シナリオ以内でお願いします)【caution!】桂木京介は、自分が書いたシナリオでもタイトルとページ数を指定いただけないと弩級の勘違いをする可能性があります!
それでは次はリアクションで会いましょう。
あなたのご参加を首を長くしてお待ちしています! 桂木京介でした!