座禅を組んでいる。
――といっても実際は、中途半端に崩れておりあぐらに近い。けれど本人はそのつもりのようだから、便宜上とはいえ座禅と呼ぶことにしたい。
大真面目な顔で目を閉じ、座禅を組んでいるのは
風の精 晴月だ。
エメラルドグリーンの長い髪、両膝をすっぽり覆う白いワンピース、集中しているのか眉間にはごく細い、製図用のシャープペンシルで引いたようなしわが寄っている。
「むーん……」
晴月は夜空に浮いていた。
それでいて、アルミ素材のバルーンよろしくふわふわと安定していない。
いま彼女の顔は空に向いている。でも数十秒前は地面を向いていたし、いつの間にか天地逆になっていたりもする。
ゆっくりと自由回転しているのだ。重力も晴月には影響を与えられないらしい。
けれど逆さまになったところで彼女のワンピースがまくれあがることも、髪が垂れることもなかった。いずれもゆるやかに、そよ風を受けているみたいにたなびいているだけだ。
月明かりを浴びて、晴月の長い髪はネオンを思わせる輝きをおびていた。
もしいま、寝子島の空を見上げ晴月の姿を目にとめた者があったとしたら、発光する水母(くらげ)の一種と見まちがえたかもしれない。
「わかんないなー」
つぶやく晴月に答える声はない。
少し前の話だ。
なんとなく忍びこんだ古寺で、晴月は白い顎髭を生やした僧に呼び止められた。裾がこぼれるほどに着古した僧服、同じくぼろ布のような袈裟、さりとて視線は射貫くように鋭く、ただ者でないことは明らかだった。頭はきれいな剃髪だ。
「ほう」僧は髭を撫でつけながら言った。「導手とは珍しい」
「みちび……何?」
とっさに逃げようとした晴月だったが、気になって寺の上空からとって返すと石灯籠に両手を置いた。猫のように丸い目をして、そしてまた猫のようにいつでも逃げ出せるよう身をすくませて空中に浮きつつ、老僧の言葉を待つ。
「導手(みちびきて)」僧は言った。「そこもとのような者を拙らはそう呼ぶ」
「私、風の精だよ。ミチビテキええと、ミチビキテ? じゃないよ」
「呼び名はなんでもよい。重要なるは宿世(すくせ)、自身の因縁を知ることよ。己(おの)が役割を思うべし」
「私の、役割?」
お坊さんわかるの? と言って晴月はさらに高度を下げ僧の真横まで来た。「教えて!」
「急(せ)くな」されど僧は、碁石のような黒目を晴月に向けただけだった。「みずから見いだすべし」
「そんなこと言ったって」
晴月は不満をもらすも、僧の目を見て悟った。
この人はきっと、なだめてもすかしても、逆に脅しても、絶対に教えてくれない。
「なら私」晴月は浮き上がった。「自分で探してみるよ」
すうっと空に舞い上がる。
それがいいとも悪いとも僧は言わなかった。ただ、まなざしをゆるめて晴月を見送っただけだ。
あれから何日もたつ。
ミチビキテ、ってどういう意味だろう――。
毎日考えているわけではないが、折に触れ、思い返しては頭を悩またりするのだ。
今宵はとくに考えこんでしまう。月がきれいな夜だからだろうか。
導手。
素直に連想すれば導く者、ということになる。
でも誰を。
どこに。
どうやって。
いまだに晴月には結論が出ていない。
そうこうしている間に年が変わってしまった。晴月にはいまひとつ理解できない習慣だが、年があらたまったことで人々には、なんらかの心理的な変化が発生したらしい。行き交う人々の顔はなんともさっぱりと晴れやかだ。年末はもっと暗く、灰をといた水のように濁った雰囲気があったかと思う。ひょっとしたら『謹賀(キンガ)』とか『賀正(ガショウ)』とかいう言葉には、そんな魔法の力があるのかもしれない。
この間、何度か晴月は下界を訪れた。おもにこっそり観察することばかりだったが、なかには接触した人間もあった。
でも私、誰か導けたのかな?
わからないことだらけだ。
わかんない。
あ、そうだ! 豁然と両目をひらくと、夜空を泳ぐようにして晴月は地上を目指した。
ラッセル。
ラッセルに教えてもらおう。
わからなくたって、ラッセルならきっと、いっしょに考えてくれるから。
桜井 ラッセルの姿を思い浮かべる。彼のことを想うだけでもう、晴月はじんわり温(ぬく)い気分になる。
あっ。
ほとんど垂直に落下していた晴月の体は、途中で『pause』ボタンを押したように急停止した。慣性の法則を無視して空に硬直する。
でもラッセル、いま、ジュケンセイなんだよね。
受験生。晴月にとっては、西遊記のお話に出てきた『斉天大聖』や、昔のSF映画『銀河大戦』と似た語感のよくわからない謎の単語の域を出ないのだが、どうやらそれはこの世界における一定期間の人間の身分ないし状況を意味しているらしい。この時期の過ごし方次第で、人間の一生は左右されるという考え方もあるのだそうだ。
長くてせいぜい一年の受験生期間で、その八十倍だか九十倍だかの生涯が決まってしまうという極端な考え方が晴月にはそも理解できないし、ひどく短絡的で窮屈なものだとも思う。
だけど、ラッセルにとっては本当に大事な時期かもしれないよね。
受験生はジュケン(受験)を控えており、受験はこの季節なのだという。ラッセルがもうじき、その大事な時期を迎えるとも聞いていた。
だったらあとしばらく、せめてジュケンが終わるまで待ったほうがいいかもしれないよね。
銭湯の煙突のうえに、頬杖をついて晴月は思う。
だって。
ラッセルにはラッセルの、人生ってものがあるはずだもの。
人生――。
はからずとも脳裏に浮かんだ言葉に、晴月は頭を両手でかかえてうなった。
私に『人生』って、あるのかな。
私。
なんなんだろう。
私って、なんなんだろう。
たくさん本読んで、映画見て、考えたけど、ますますわからなくなってる。
長い髪をたなびかせ、地上十数メートルの場所を晴月は飛びめぐる。八の字を描く。
せめて、
「ラッセルの姿を見に行こう」
こっそりと、と晴月はつぶやいた。
ラッセルの受験生の生活を観察してみたい。
それが人生というものを、学ぶことになるかもしれないから。
見つからないよう気をつけなくっちゃ。
ラッセルの邪魔、したくないもんね。
―*―*―*―*―
その日の朝、靴のかかとを直しつつラッセルは何気なく空を見上げた。
「……」
気のせいか。
頭上には、かすみがかった青空が広がっているだけだ。
シナリオ概要
風の精 晴月は、謎の僧(一清)に『導手(みちびきて)』であると言われたことがきっかけで、自分の役割や人生について少し考えはじめています。(といっても常に思い悩んでいるわけではなさそうですが)
ラッセル様と一緒に考えようと思ったものの、間近に受験なるものが迫っていると想いだし、晴月は隠れてラッセル様を観察することにしたのでした。
そんな冬の日のお話です。
ラッセル様を尾行(?)する晴月ですが、いずれ露呈することでしょう。
とはいえいつ察知するかはお任せします。数時間ほど観察されるもよし、すぐに気がつくもよし、あるいは、気がついてるけどしばらく泳がせてみるのもいいでしょう。
気がついたあとの展開も自由にご提案ください。
晴月と接触しているだけで普通の人間も飛ぶことができます。空を遊泳するのは可能です。
どこかへ遊びに行ってもいいでしょう。晴月に任せるなら、なぜか彼女はシーズンオフの冬のビーチに行きたがります。
ふれてもらいたい過去のシナリオがありましたら、ページ数を含めてご指示をお願いします。
それでは、次はリアクションで会いましょう。桂木京介でした。