寝子島に暮らしていると不思議な現象との遭遇は少なくない。
むしろ多い。
とても多い。
とりわけ
御巫 時子には多い。
寝子島には摩訶不思議について一言で説明できる便利な言葉がある。
『しょうがない』と言い捨てるほどあきらめの意識はない。
『運命のいたずら』と片付けるには事態が大きすぎる。
かわりに言うのだ。『神魂の影響』と。
突然はじまったこの旅も、神魂の影響によるものと言うほかなさそうだ。
慣れているので時子は落ち着いている。
けれども肌に違和感があった。
何かがちがう――周囲を見回す。
温度計的にも気圧配置的にも真冬というほかない休日、時子は新しく購入した着物に袖を通していた。
紅白地に大輪の牡丹柄、赤、紫に橙が咲いている。古典的で清楚ながら華やかもあって、アップに結った髪型によく似合った。対称的に帯は黒地でやはり牡丹が散らしてあり、全体のイメージを引き締めている。髪飾りも牡丹だ。花弁の緋色が愛らしい。
着付けを終えて姿見に映して、あかず時子は我が身を眺める。
一回りしたり両手を合わせたり、雑誌モデルみたいなポーズをとってみたり――「似合いますか?」と心のなかで、ある男性を想定して問いかけてみたりする。
はい、似合いますよ、とても。
彼ならこう言ってくれるだろう。語彙には乏しいかもしれないけれど、いつわりのない心からの言葉で。
早く先生に見せたいな。
でも春の着物なのだ。お披露目は先になる。どちらかといえば桜が散ってからの柄だから、二ヶ月くらい待つ必要がありそうだ。
せめて気分だけでもと草履をはいて玄関で、出かけるところを想像してみる。お供は和装時のお気に入り、西陣織のグラニーバッグだ。
澄ました顔でドアに手をかける。
想定はデートの日の朝、気分が弾んだ。
一歩だけでも出ちゃいましょうか。
ドアノブを回した。
廊下。
……に出たはずだったのだが。
青空。
なぜか時子は屋外にいて、フェンスの前に立ちつくしている。
しょうがないとは言わないし、運命のいたずらなんていうレベルではなかろう。
ようするに、
神魂の影響みたいですね。
慣れているので時子は落ち着いている。
SFチックな言い方をするならばテレポーテーションしたらしい。ここがどこかはわからないが一瞬のうちに飛ばされたようなのだ。
二月のはずなのに暖かい。そよぐ風も心地よく、いまの着物に適した時期のようだった。
先取りして二ヶ月ぶん時間がすぎたのだろうか。
だとしたら先生に見せたいという気持ちが招いたのか。
直感的に寝子島だとは思ったが、目の前にあるくすんだ色合いの建物には覚えがなかった。
建物にちかづいて立て看板を見つけた。文字は消えかかっているものの、『臨時研究棟』という文字が読み取れた。
その下に書かれた『木天蓼大学大学院 理工学部』という文字も。
「ああ」
声が出た。とすればここは木天蓼大の寝子島キャンパスなのか。
しかし寝子島キャンパスができたのは昨年度のはずだ。それがこんなに古びているのはおかしい。
研究棟というわりに建物が平屋で、しかもひとつきりなのも気になった。木天蓼大の研究棟としては規模が小さすぎないか。
男女の二人連れが通りかかった。
「あら?」
どちら様? と女性のほうが口を開いた。詰問するような調子ではない。むしろにこやかに問いかけてくる。
「もしかしてオープンキャンパスに来た高校生?」
「あ……はい」
時子はなんとか回答したものの白昼夢を目の当たりにでもしているかのような口調だ。
実際に白昼夢なのかもしれない。
芽衣子さん、それに、尚輝先生――!
今道 芽衣子と
五十嵐 尚輝なのだった。
でもふたりは時子の知っているふたりではない。
ずっと若い。
芽衣子は白衣を着込み、髪をポニーテールにくくっていた。メイクはほとんどしておらず黒ぶちの眼鏡、白衣の下はボーダーシャツだし、すらり長い黒のスキニージーンズ、スポーツブランドのスニーカー姿だ。知的かつキュートという印象を受ける。
もっと驚いたのは尚輝のルックスだ。
基本は変わっていない。ボサボサの髪に白衣である。
だけどちがう。きっと十年以上若い。
白衣の下はワイシャツにネクタイではなく、ギンガムチェックのだぼっとしたネルシャツだ。いつものスラックスだってブルージーンズに姿を変えていて、よれよれのケミカルウオッシュ地だったりする。いや、ずっと同じものを履いて洗ってしてリアルにウオッシュがかかっただけだろう。膝小僧には穴が空いていたが、きっとこれも意図的なものではなかろう。
最大の変化は顔だろうか。
多分に少年の面影が残っているのだ。二十代だろうに。
時子の知る尚輝は万年青年風の見た目だった。その傾向は前からだったらしい。
先生……!
時子の胸がきゅんと鳴った。
かわいいです。
人見知りしているのだろう、尚輝は知らないところに連れてこられた猫のようにおどおどしている。そんな様子も含めてかわいいと思った。この時点の尚輝でも時子より歳上のはずなのだけど、同年代あるいは後輩みたいに見えてしまう。なんかご飯とかおごってあげたくなる。
つまり私はタイムスリップしたということなんですね。
先生と芽衣子さんが大学院生だった頃に。
神魂がどんな意図を持ってタイムスリップを行ったのかはわからない。そもそも意図などないのかもしれない。
けれどわかることもあった。それはこの旅が、きっと数時間で終わるということだった。ふっと戻ってしまうのでしょう――誰に教えられたわけでもないのに時子は理解していた。
「あ……あのすいませんがここは」
おずおずと(若)尚輝は言いかけたものの、困ったように芽衣子に目を向けた。得たりとばかりに芽衣子が言葉を継ぐ。
「オープンキャンパスの会場じゃないのよ。会場は本土の学部だからね。寝子島には理工学部の臨時研究棟があるだけ……って言っても、いつまで『臨時』なんだか」
と(若)芽衣子は肩をすくめて、
「あのボロい建物をつぶして正式なキャンパスを作るっていう計画があるそうなんだけどねえ。何年も前からずっと」
完成はいつになることやらと言って笑った。計画が果たされるのは十年ほど先の話だとはさすがに思っていないだろう。
「まちがって島のほうに来ちゃったのかな?」
「……はい、そうみたいです」
だったら、芽衣子から意外な提案があった。
「一緒に本土のキャンパスまで行かない? 私たちも戻るところだからさ。オープンキャンパスの会場まで連れて行くよ。なんなら学内も案内するし」
「いいんですか!」
ぱっと時子の顔が輝いた。任せてよ、と芽衣子は気軽に請け負う。
「未来の後輩になるかもしれないんだもん。ね、五十嵐くん?」
「あ……はい」
なんとか答えたものの尚輝は時子のことをまともに見ることができない様子で、芽衣子の影に隠れそうな勢いだ。
「じゃあまず駅まで行かなくちゃね。そうそう、私は今道。彼が五十嵐くん」
と手短に紹介して芽衣子は言った。
「それであなた、お名前は?」
リクエストありがとうございました! 桂木京介です。
御巫 時子様へのプライベートシナリオをお届けします!
シナリオ概要
十年ちょっと前の寝子島、五十嵐尚輝と今道 芽衣子が木天蓼大学の大学院生だった時代にあなたはタイムスリップしてしまいました。
折良くふたりと出逢えたあなたは、ねこでんに乗ってふたりと一緒に本土の木天蓼大学へと向かいます。
春後半のこの日、大学ではちょっと早いオープンキャンパスが行われているのです。
状況
青春時代のふたりとキャンパスをめぐりましょう。
けっこう広い敷地なので、ただ歩き回るだけでも楽しめます。
設備見学はもちろん、図書館や学食も開放されています。
尚輝と芽衣子は院生なので、体験授業を希望する場合、彼らが該当授業のTA(ティーチングアシスタント。ようは講義の手伝いです)を務めます。
現在は昼をすぎたところです。夕方ごろこの物語は終了となり、あなたは元の時代へと戻されてしまいます。
本当は目一杯楽しんでいただきたいと思っているのですが、残念ながら時間的制約がある(あなたもなんとなくそのことを理解しています)ため、行動内容はいくらか絞ったほうがいいかもしれません。
尚輝と芽衣子の関係について
彼らは同じ研究室に所属しており、芽衣子のほうが一学年上です。
当時芽衣子は尚輝のことが好きだったりするのですが、超鈍感な彼は彼女の好意に気付いていません。でも内心あこがれてはいたようです。つまり限りなく両想いに近い間柄だったのですね。
けれど実際は、互いに言い出せないまま卒業することになります。
現代への影響について
この『あの日あのとき』はパラレルワールド、あるいは神魂が見せた幻だと思われます。なのでここで取った行動がその後の展開に影響することはないでしょう。
といっても尚輝ないし芽衣子がデジャブ的に「あれ? 前にこんなことがあったような……?」と思う可能性はあります。
それでは、次はリアクションで会いましょう!
桂木京介でした。