夏が閉じる。
閉じようとしている。キラキラと輝いたまま。
膝を抱えて夕方の海を眺めて、ナニコレ青春? と自嘲する。
でも唇に生まれたかすかな笑みは、波に洗われる足あとみたいに、いつの間にか消えている。
俺は、スペシャルな人間になんてなれない。
どこにでもいる名無しの誰かみたいに、浮かぶこともなく消えていくだろう。
大学にはたぶん、入れる。
有名な学校は無理だけど、まあどこかに。
奨学金という名前の借金を背負って。
入ったらたちまちシューカツだ。人脈作りのためインカレサークルに所属したり、セカンドスクールに通って資格を取ったり。いつかは髪も染めなきゃならないだろうし、蟻っぽい黒のスーツに袖を通すだろうし、OB訪問とかいうのも、ヘラヘラ笑いながらするんだろう。企業の説明会では、ペットボトルを机に置くのはNGなんだっけな……。
で、二流企業にやっとこさ入って、借金返しながらサービス残業だ。
……まあ、そこそこ楽しいこともあるだろけどさ。
スペシャルな人間になんてなれない。
家は金持ちでもねーし、成績もイイとはいえねーし、音楽やトークの才能があるわけでもねー。絵とか造形なら多少はできるが、プロになれるレベルじゃないことは、自分が一番よく知ってる。
「……ったく、ここまで現実つきつけられるなんてな」
学生奨学金制度のパンフを丸めて握ったまま、
野菜原 ユウは紫色のため息をついた。
◆ ◆ ◆
「お疲れ様」
と
泰葉(やすは)が挨拶したのに、
紗央莉(さおり)には、同じ言葉が返せない。
深夜一時、キャットロードのクラブ『プロムナード』、その裏出口。
すでにネオン灯は消えている。街はようやくまどろみつつある。
呼んでおいたタクシーに紗央莉は乗る。何気なく目で泰葉の背を追った。彼女はどうやら歩いて帰るらしい。
――途中まで同じ方向でしょ? 乗ってく?
なんて言葉が出かかったが、紗央莉は冷たく笑ってこう独言するほうに切り替えた。
「歩いて帰って節約? いじましいこと」
あっちは落日、こっちは昇り調子、そんなことを思いながら、紗央莉はシートに身を沈めた。
そう、これでこそ自分らしい。
靴音が響く。
そろそろ秋服を買わなくちゃ、泰葉はそんなことを考えている。
少し遠回りがしたくなり、あえて人気のない方角へ進んだ。
その気まぐれを『好都合』だと、解釈する人間がいることなど夢にも思わない。
昼間はにぎやかだが、夜は野良猫くらいしかいない狭い道、そこで泰葉は足を止めていた。
「……赤沢さん」
「おい、移動の自由って知ってっか?」
若い男が三人、泰葉の前に立ちふさがったのだった。
染めた金髪に地毛が生えてきて、なんだかプリンみたいな頭、日に焼けて皮のむけた鼻。しゃべっているのはこの男だ。
「移動の自由だよ。ケンポーで保証されてっだろ?」
「意味が分かりませんけど」
泰葉は言いながら、そっとハンドバッグの内側に手を忍ばせている。
「
トボけんな! 俺には行きたい場所に行けるケンリがあるって言いてえんだよ!」
赤沢はこの夜、『プロムナード』に入店しようとして拒否されたのだった。いわゆる出入り禁止にされていたのである。他ならぬ泰葉によって。
「テメざけんなよ、キャバ嬢程度が俺のケンリ無視していいと思ってんのか!」
赤沢は泰葉に近づいてくる。
「――!」
テレビのリモコン大の黒いものが、泰葉の手から滑り落ちて乾いた音を立てた。
このとき泰葉は、背後から近づいてきた赤沢の取り巻きに、腕をひねりあげられていたのだった。
くるくると回転するリモコンを、もう一人の取り巻きが靴で踏みつけて止めた。
リモコンではない。スタンガンだった。
「舐めたマネしやがって。今からたっぷり学習(ガクシュー)してもらうからな」
赤沢は泰葉の髪をわしづかみにする。
そして、猿と人類のちょうど中間のような表情をした。
◆ ◆ ◆
重くはない。けれど軽くもない灰色の空。
それがだんだんと、あかね色に変わりつつある。
蝉の声はいつからか、ヒグラシのものになっていた。
雨は、大丈夫だよな。
呉井 陽太は道を急いだ。ゴール間近の競歩選手みたいにせかせかと歩く。
遅くなってしまった。
寝子島総合病院の面会時間が何時までなのか、調べるのを忘れていたけど、まだ大丈夫だと思いたい。
しかし陽太の気が急いているのは、時間だけが理由ではなかった。
息をせぬ冷たい生き物に尾行されているような、そのひたひたした足音を背後に感じているような、落ち着かぬ気持に急かされているのだった。
まさかね、と思いを振り払おうとする。
でも、振り払えない。
病院の自動ドアをくぐり、広大すぎるエレベーターに乗ってナースステーションまでたどり着くと、陽太は看護師に訊く。
「面会はまだ、可能ですか。ええと、
香川王堂さんの……」
◆ ◆ ◆
「悪ぃな、そういうの興味ねんだ」
市橋 誉からの誘いを断って、
詠 寛美は歩き出した。
「それに、このところ忙しい」
寛美の背に誉は問いかける。
「忙しい? なにが」
「委員会の仕事とかだよ。なんかごちゃごちゃ頼まれてる」
じゃあ行くから、と寛美は片手を上げて、足早に学校のほうへと向かっていった。角を曲がって姿を消す。
慌てて誉は追ったが、もう寛美の姿は消えていた。まるで気まぐれな猫が、目を離したとたん消えているみたいに。
「委員会の仕事――」
おかしい、と誉はすぐに気がついた。
委員会といっても、寛美が所属しているのは図書委員だ。
本は読み始めたら2ページくらいで寝る、と公言してはばからない寛美が図書委員になったというちぐはぐさに、聞いた当時は笑ったものだ。
夏休み中に、学校図書室の雑用などあるのだろうか。
左右の手のひらで目を覆いながら、寛美は居宅にしているアパートの一室に飛び込んだ。
間取りは1K、閑散とした部屋だ。
閑散としすぎかもしれない。家具の一つもないのだから。
畳の上にぽつんと置かれているのは、膨らんだボストンバッグだけだった。
寛美は目を拭った。
「これでいいんだ」
さよならなんて言葉は使いたくなかった。誰にも。
◆ ◆ ◆
それでも真昼はやっぱり暑い。
歩くだけでもう汗だくだ。
三佐倉 千絵(みさくら・ちえ)はビニールバッグをかついだまま、小学校の門のところで立ち尽くしている。
無情なる貼り紙があった。
書かれている文字は『本日のプール開放は、気温が高すぎるため中止になりました』。明朝体のひややかな通告。
この前も、そうでしたよね。
今日は曇りだからなんとかなると思っていたのだが、甘かったらしい。
家すなわちゲームショップ『クラン=G』はいまごろ、定期トレカ大会の真っ最中だろう。彼女の父親(店長)はきっと、大人げなく練りに練ったカードで未成年たちを蹴散らしているに違いない。
そういうのはちょっと、見たくなかった。
ヒップホップグループのTシャツの上にオーバーオール、スニーカーの爪先で、とんとんと地面を叩く。
さてこれからどうしよう。
「……んふふっ」
千絵は振り返った。
誰かの含み笑い、それも、熱い沼の水泡が弾けるような、湿度熱度の高い含み笑いを聞いたような気がしたからだ。
だが誰の姿もない。背後には赤いポストがあるだけだった。
千絵はそのポストの陰に、
胡乱路 秘子がいることなど気付きようもなかった。
◆ ◆ ◆
海風に吹かれながら、
野々 ののこはベンチに座って牛丼を食べている。
発泡スチロールの持ち帰りパック、買って少々時間がたったので、ごはんがちょっとべしょべしょしていた。
「このべしょべしょ具合もおもむき深いんだよねー」
なあんてウフフと独り言する。
チェリーコーラの缶を取ってングングと飲んだ。甘辛い牛丼のタマネギの味と、薬くさいコーラの人工甘味料が口の中でごちゃ混ぜになる。
プハーと息を吐いて海を眺め、目を細める。
親友の
七夜 あおいには声をかけそびれた。
――最近、あおいちゃん元気ないんだよなあ。
夏休み明けに学校に提出する希望進路の調査票が、あおいの気を重くさせているらしい。
何人かの友達に連絡してみたが、用事があったり留守電だったり。
だから今日のべしょべしょも薬くささも、潮風も高台からの眺望も、ののこはソロで満喫中なのだった。
夏休みの宿題とかいう単語が脳裏に浮かびかかったが、そんな遠い昔のことは忘れた。提出期間は遠い未来ではないような気がするけれど、忘れたという事実に違いはない。
かわりにののこは、ベンチの空いた空間を眺める。
誰かのことを、思い浮かべたりもする。
夏が閉じる。
閉じようとしている。キラキラと輝いたまま。
マスターの桂木京介です。よろしくお願いします。
呉井 陽太さん、市橋 誉さん、ガイドへのご登場ありがとうございます。
もしご参加いただけた場合は、ガイド本文にかかわらず自由にアクションを掛けていただいて大丈夫です。
シナリオ概要
日常シナリオです。私が執筆した前作、『たとえ今日が、終焉(おわ)りゆく明日の始まりだとしても』の直後から、一週間後くらいまでを期間にとった物語としたいと思います。
晩夏ですが、それでもまだ暑さはエクストリームなものがありますし、残りわずかな夏休みを、全力で楽しもうとするのも良いでしょう。
内面重視、じっくりと書かせていただく話が主になるかもしれません。
しかし! もちろんパーティ全開で楽しいお話でもウェルカムです。
もうすぐ終わる夏ですけれど、これはあなたの夏なのですから。
NPCについて
桂木京介のシナリオに初登場した未登録NPC(『プロムナード』『クラン=G』、シリーズ【FEAR THE FORCE】の関係者など)であれば、アクションに書いて下されば誰でも必ず登場します。
公式NPCであれば、100%は保証できないもののできるだけ出すよう調整します。ただしシナリオガイド本文に登場しているNPCなら100%登場します。
※NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、恋人、運命の相手など。参考シナリオがある場合はページ数まで)を書いておいていただけると助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい
シチュエーションについて
シナリオガイドでは何人かのキャラクターに状況を用意していますが、仮にかかわるとしても、このシチュエーションに続ける(あるいは参加する)必要はありません。
晩夏の期間、数日のうちのいつか、という設定だけはありますが、それ以外の場所や時間帯の制限はないので、自由に設定してみてください。びっくりするようなシチュエーションとかもありそうですね。
それでは、あなたのご参加を楽しみにお待ちしております。
次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした。