夏真っ盛り。ある日の寝子島高校にて。
日も沈みかけた頃、夕暮れの美術室を訪れた
ロベルト・エメリヤノフは、眉をひそめた。
「これ、どうなってるんですか? 泉先生」
「さあてなぁ。愉快な事態なのは確かだが」
美術担当教師、
泉 竜次は隣で、からからと笑っている。
「先生、楽しんでませんか」
「はっはっは」
二人の目の前、美術室のど真ん中に、一人の男が立っていた。
明らかに日本人ではない、西洋人らしい彫の深い顔立ち。屈強な肉体をゆったりとしたトーガに包み、両腕を組んでまんじりともせず、鋭い眼光でロベルトと竜次を見据えている。
浮世離れしたその男の顔に、ロベルトは見覚えがあった。
決して顔見知りではないが、いつもどこかで……そう、この美術室に来るたびに見かける、もはや親しみすら覚える顔だった。
ただ眺めていても仕方がない。思い切って、ロベルトは尋ねてみることにした。
「あのー。もしかして、ブルータスさんですか?」
「うむ。いかにも」
流暢な日本語で、男は名乗った。
マルクス・ユニウス・ブルトゥス。日本では主に英語読みでブルータスの名で良く知られる、古代ローマ時代の政治家であり軍人だ。
シェイクスピアの戯曲、ジュリアス・シーザーの一幕は特に有名だろう。
そう、「ブルータス、お前もか」のブルータスである。
「ほう。つまり、石膏像が本物になった、ということか?」
竜次が示したほうには、デッサン用の石膏像がずらりと並んでいる。ヘルメス、アポロ、マルス、ダビデ像にミロのヴィーナス。そんな定番の並びの中にはブルータス像もあったはずだが、今はどこにも見当たらなかった。
目の前の男はどうやら、石膏像のブルータスが動き出したものであるらしい。
ブルータスは言う。
「いつもはこの美術室にて、生徒らの授業を眺めているばかりであったが。気づけばこのように、動けるようになっていた」
「ええと。どうしてそんなことに?」
「さてな。皆目分からぬが……」
ロベルトの問いに、ブルータスは首をひねる。
「はて。私は誰かを待っていたのではなかっただろうか」
「誰か……?」
神魂の影響色濃い寝子島だから、石膏像が動き出すことだってあることだろう。ロベルトも今さら驚いたりはしなかった。
だが、もちろんそうではない人だって大勢いる。
「先生。ブルータスさんにこのままここにいられると、まずいんじゃ?」
「そうだな。もう下校時間だから、しばらくは誰も来やしないだろうが……」
このまま明日になったら、美術の授業で訪れた生徒たちが目を回してしまうかもしれない。きっと大きな騒ぎになってしまうだろう。
「さて。早くどうにかしないとね」
久しぶりのシナリオとなりました、三城俊一です。
ご無沙汰してしまいまして申し訳ありません。
今回は、美術室の備品である石膏像のうち、
マルクス・ユニウス・ブルトゥス(ブルータス)の像が実体化してしまいました。
この石膏像は、かのミケランジェロが晩年に作成したと言われる胸像のレプリカで、
学校の美術室などには良く置かれているごく一般的なものです。
実体化したブルータスさんは、石膏像としていつも生徒たちの授業を眺めているからか、
大変流暢な日本語を話すことができますが、その知識や価値観は古代ローマ人そのものです。
知っているのは美術室の中だけで、現代の一般常識などはなさそうです。
どうやったら元に戻るのか、その方法も定かではありませんが、
どうやらブルータスさんも、ただで元に戻るつもりはないようです。
いわく、彼は誰かを待っているのだとか……?
早いところ元に戻らなければ、明日の朝には生徒たちがやってきて、騒ぎになってしまうでしょう。
皆さんはたまたま通りかかったり、誰かに声をかけられたりで知ったようです。
泉先生は誰にでも全面的に協力してくれるので、寝子高生でなくても校舎に入れます。歓迎されます。
なんとかして、ブルータスさんを元の石膏像に戻し、トラブルを回避してください!