●「モントジッェル」（星ヶ丘教会）


「ようこそ、おいでくださいました」
　客たちを出迎えるのは、シスター服に身を包んだゼシカ・ホーエンハイムの柔らかな微笑み。
　“モントジッェル”では、星ヶ丘カトリック教会にて奉仕するシスター・ゼシカが一つ一つ手作りした、ドイツ菓子が振舞われる。
　喫茶スペースの脇には、こちらもお手製だろうか？　アロマキャンドルとハーブが並べられる。
　うら若きシスターの出店には、普段の彼女の人柄を知る者達や、他とは違う穏やかな雰囲気に誘われて足を止める客たちで賑わっていた。
　忙しいシスターを手伝うのは、代々従者の家系に生まれ育ち、夢は板前という花宮 千景。
　売り上げは、教会とゼシカが管理する洋館蔦薔薇の館の維持費に回すと言うゼシカに、千景はボランティアと知りつつ手伝いに立候補した。



「何時いかなる場合でも、そのとき出来る事を――最高ではなく最善を尽くす、それが私のやり方ですから」
「まあ、これも神のお導きですね。感謝いたしますわ。あなたに神のご加護がありますように」
　敬虔なるシスターは、常に感謝を忘れない。そしてどんな事も、決して自分の手柄にはしない。
　全ての栄光は、神にこそ捧げられるべきものだから。
　女性は少々苦手とする千景だが、自分のスキルを生かしたく、またシスターのストイックさに、他にない魅力を感じたのだった。
　従者の家系というだけの事はあり、喫茶スペースにおける千景の動きは洗練されている。


　はぐれないように、こっそりと服の裾を掴んだ澪乃 澄佳を伴って現れた六月一日宮 檸檬は、千景に案内されて落ち着いた雰囲気の喫茶スペースへ進む。
　檸檬の服から、女性らしい ふっくらとした丸味を帯びた指が離れて。
　向かい合わせの席に座れば、必然的に相手の存在が目の前に。
　気負わないつもりだったけれど、こうして面と向かうと先日の事を思い出してしまって、互いに固まってしまった。
「「あのっ！」」
　同時に切り出して、ハッとする。
「澪乃センパイ、どうぞ」
「檸檬くんこそ、お先にどうぞ」
「……じゃあ……」
　檸檬は背筋を正して、澄佳を正面に捉えた。
「澪乃センパイ 、こないだは強引にゼリーを食べさせようとして、すみませんでしたっ！」
　真剣に見つめて、膝に手をついた姿勢で勢い良く頭を下げる檸檬に、澄佳は一寸目を見開く。
「いくら神魂のせいだって言っても、センパイにあんな無理に……。自分でも、信じられない。なのに今日、出店巡りOKしてもらえて、その、俺、すっげー嬉しかった！」
「檸檬くん……」
　潔く謝罪する檸檬に、聞き入っていた澄佳の緊張もほぐれる。
「あ、えと……べ、別にいいんだよ？　相手が檸檬くんだったから、なんもそんな気にしてないし……。ね、だから、もう言いっこなしで楽しむべさ！」
　顔を上げた檸檬を見守る澄佳は、もう何時も通りの暖かな笑顔。だから檸檬も照れたように、笑顔を見せる。
　楽しそうに手書きのメニューを見る二人の間には、いつしか穏やかな時間が流れていた。

「ようこそ“モントジッェル”へ。本日、ご案内をさせていただく花宮と申します。こちらの喫茶スペースではドイツのお茶とお菓子を、ご提供させて頂いております」
　二人に千景から、今日のお菓子が説明される。
「“クラップフェン”は揚げパンの一種でございます。あんドーナッツのよう、と言えばわかりやすいでしょうか？　マーマレードのビターな苦味が、程よいアクセントになっております。“クレッツェンブロート”はドライフルーツをふんだんに使用して、黒いパン生地でまとめてございます。甘味と酸味の変化を楽しめる一品ですよ。“アイアシェッケ”は濃厚なベイクドチーズケーキです。当店でご提供させて頂いているドレスデン地方のものは、何層にも及ぶ手の込んだ作りをしております。そぼろ状のクッキーの下はカスタード、更にレーズン入りのチーズクリーム、最後はクッキー生地。全てシスター・ゼシカの手製となっております」
　流れるような説明が終わると、檸檬と澄佳は探るように顔を見合わせる。
「うわぁ、どれも旨そうだなぁ……」
「ね、檸檬くん、食べ合っこしよ？」
　迷う様子に試食を出そうと用意していたゼシカは、察して小さく切り分けたお菓子の皿を下げる。
「お、それいいな！　じゃあ、俺はアイアシェッケいってみるぜ」
「あたしは……じゃあ、クレッツェンブロードお願いします。それと紅茶を」
「あ、俺もレモンティ！」
「かしこまりました」

「さあどうぞ召し上がれ」
　シスターから出されたお菓子を掬って、互いに口にすれば恥ずかしさもあるけれど。
「あの……澪乃センパイ。今日の思い出に、それぞれキャンドルを選んで交換しませんかっ！」
「わあ、大賛成！」
　目を輝かせた澄佳が檸檬のために選ぶのは、白と薄い水色のグラデーション。爽やかなレモングラスの香り。
「檸檬くんさ見てると、こんな色とか香りがいいなって」
　嬉しそうな檸檬が澄佳に選んだのは、赤いキャンドル。甘く優しいハニーの香り。
「やっぱり、優しくて暖かい感じかなって」
　先の事はまだ、これから。けれど互いのプレゼントを大事そうに胸に抱えて、立ち去る二人の距離は、また少し縮まった事だろう。

　出店巡りをしている巫部 紫苑は、珍しいお菓子に心を惹かれていた。
　食べ物への愛ゆえに、料理も得意な紫苑。尋ねれば、ゼシカは惜しげもなくレシピを教えてくれる。
「砂糖の量がコツですの。このお菓子は、星ヶ丘教会でも振舞っておりますから、良かったら教会の方にもお立ち寄りくださいね。私はこの春先に寝子島に来たばかりですが、もっと沢山の人に教会に来て頂きたくて」
　にこりと微笑むゼシカに、紫苑は頷いた。


「シスター・ゼシカ、お疲れ様ー！　これ差し入れだよー！」



　陸上部の“走りたい焼き”を手に、日頃から教会でボランティアをしている十文字 若菜が駆けつけた。
「まあ、若菜さん。丁度一息入れようと思っていた所ですわ、ありがとうございます」
「ふふ、うちの走れたい焼き君とタピオカドリンクだよ。うわぁ、シスター・ゼシカのお菓子、どれも美味しそう！　折角だから、皆にも買っていこうかな」
「良かったら、若菜さんも少し休憩いかが？」
「んー、じゃあお言葉に甘えて、そうさせてもらおっかな？」
　シスターが若菜にもお茶を淹れてくれて、二人もお茶とお菓子でしばしの充電。
　若菜がお土産のお菓子を手に陸上部の出店に戻り「後半も頑張ろう！」と、にぱっと笑うのは、少し後の話。


　シグレ・ナイトウォーカーはいつものように、うやうやしく恋人・緋紅朱 赫乃の華奢な手を取って、ここまでエスコートしてきた。
　シスター・ゼシカとは顔見知り。
　お菓子を振舞われながら、すぐに花が咲くのは、赫乃の感心が強い薔薇の話。
「お詳しいんですのね」
「私、は、薔薇を、育ててる、から」
　オールドローズの香りに包まれた、薔薇の精のような赫乃の唇から零れる言葉は、小さく途切れがちで。
　けれどそれを急がせる事無く、シスターはゆったりと赫乃の言葉を待つ。

　一方、シグレは雑貨コーナーを見ていた。
　その中から一つ、イランイランのアロマキャンドルを手に取る。
　異国の言葉で“花の中の花”を意味するイランイランは、艶やかでオリエンタルな香りが特徴。
（二人きりの時、こういう香りだと、こう、良い感じに……）
　怪盗は彼女の心を盗む計画に、余念がない。

「キャンドルも一つ一つ、手作りしておりますのよ」
　涼しい顔で不埒なことを考えていたシグレは、シスター・ゼシカの善意溢れる言葉に、慌ててキャンドルを取り落としそうになる。赫乃の無垢な瞳が、眩しすぎる。
「シグレさん、大、丈夫？」
「あ、ああ。な、なんでもない」

　とは言え、男として気にならない事もなく。
　どうにか千景を呼びつけて購入しようと画策する横で、赫乃がすっと、そのキャンドルを手にする。
「この、キャンドル、を、ください」
「はい、ありがとうございます」
　驚いて凝視するシグレに、赫乃は包んでもらったキャンドルを差し出して、にこりと微笑む。
「シグレさん……気に、入った、みたい、だから。これ……私から、プレゼン、ト……」

　眩しすぎるぜ、ベイベー。