「これ、落としましたよ」
と呼びかけて
ウォルター・Bは、振り返った姿に目を奪われた。
「何か……?」
赤い髪、涼やかな目、きりっとした口元に知的な顔立ち、ぐっと控え目に表現しても抜群の美女だった。あまり女性の容姿に心動かすことのないウォルターではあるが、一瞬はっとしたことはまちがいない。美術館をめぐっていてだしぬけに、壮麗な絵に心をつかまれたような感覚だった。
だがぼんやり見とれるわけにはいかない。
「えっと、これです」
ウォルターがさしだしたのは定期入れだ。
「あなたのですよね」
なぜか気恥ずかしさを感じつつ言う。
「……ええと、イマミチさん?」
「コンドウと読みます」
慣れているのだろう、彼女は悠然とほほえんだ。
「ありがとうございます」
定期券に書かれた名前は『
今道 芽衣子』だ。
ある日の夕方たまたま前方をゆく女性がぽとりと、パスケースを落としたのが二分前、ウォルターが拾って定期入れであることをたしかめ、声をかけようとしたのがその十数秒後だ。しかし彼女の足の速いこと! 顔を上げたときにはもう、えっと言うほど彼方(かなた)にいたのである。早足で追うもその女性もまた小気味いいくらいスタスタとスピーディで、結局走るはめになった。女性が書店に立ち寄ったところでウォルターは追いついたのだった。以上、簡単ながらここまでの経緯である。
今道と書いてコンドウ――。
漢字はともかく名のひびきに、どうにも覚えあるウォルターだった。
「でも五十嵐先生嘘でしょ、このあいだもすごい美人と歩いていたじゃないですか!」
先月、飲み会の席での記憶だ。
若杉 勇人は
五十嵐 尚輝に詰めよっていたのではなかったか。
その後尚輝自身の口から、
「その人はコンドウさん、って言って僕の大学院時代の先輩ですよ」
とか、
「とんでもない。コンドウさんは、僕なんか眼中にもないですよ」
といった発言もあったではないか。
けれども手がかりが少なすぎる。砂浜に落とした貝殻のピアスを探すような話だ。
「もしかして……」
言うべきか言わざるべきか半秒ほど迷ったが、ウォルターは前者を選んだ。
「もしかして、五十嵐尚輝先生のお知り合いの方ですか?」
考えてみれば、まちがっていたとしても困ることなどないのだから。
◇ ◇ ◇
鈴木 冱子はテーブルに肘をつき、ノートPCに表示された数字を暗いまなざしで見つめた。
きつい。
深々と息を吐く。
ここは保護猫カフェ『ねこのしま』。いわゆる猫カフェともいえようが、捨てられた猫や野良生まれの猫、飼い主の死去や経済的事情などにより住む場所を失った猫たちの保護シェルターとしての側面のほうが強い。おとずれる客はただ猫とたわむれるだけでもまったく問題はないのだが、できれば猫たちの新しい飼い主になってほしいとも期待される。出張譲渡会も定期的に開催している。すべてはこの世界から、すくなくとも寝子島から、殺処分なる非情の措置をなくすためだ。
ねこのしまは保護猫活動を行うNPO法人でもある。継続的な活動をおこなうためだ。法人ゆえ経営の必要がある。
その経営こそが問題なのだった。
どう計算しなおしても同じだ。先月からずっと、経営は採算ラインにまるで届かない。
正直に書く。苦しい。もっと正直に書く。倒産寸前だ。
なんとかここまでこれたのは多数の人間の協力のおかげだった。保護活動の大半はボランティアに頼っている。ねこのしまには数人のアルバイトがいるが、時給は地域の最低賃金だ。しかもときどき給料が遅配になるというのに、
成小 瑛美(なるこ・えいみ)らバイトはまったく不平を言わない。
成小さんなんて学費のこともあって苦しいでしょうに――。
木天蓼大学の学費が払えなくなり休学して、瑛美は複数のアルバイトをかけもちしているのだった。夜の水商売までしているというではないか。できればそんな恐い仕事からは足を洗ってほしいと思う半面さすがに口出しはできず、冱子は内心、瑛美には申し訳なく思うばかりだ。
だが人件費を切り詰めてもままならぬものがある。店の家賃に維持費、光熱費、猫たちの食費とケア費用などだ。流れ出すものは膨大であり、しかもその勢いは加速している。近年のエネルギー費急騰はとりわけ重くのしかかっていた。
このままの経営では、どう考えてももたないだあろう。
カフェを訪れる客は多くない。料金を多少上げても焼け石に水だ。
泣きそう。
冱子は両肘をついたまま頭をかかえた。きっと自分は泣かないとわかっていたけれど。
冱子は泣かない子どもだった。
厳しい母親に、躾(しつけ)と称してぶたれたことは数限りない。
小学校も中学校も体罰が当たり前の時代だった。男性教師からのセクハラもあった。現代の視点で見ればセクハラどころか、完全に性犯罪のレベルだったが。
最初の交際相手は束縛が強く、些細な理由をつけては冱子をなじり暴力をふるった。
だが怒鳴られても、どんなに痛みを覚えても冱子は泣かなかった。
泣いた記憶はただひとつ、飼っていたリクという名の猫を、母の命令で捨てさせられたときだ。目をつぶってリクを投げ出し、振り返らず滅茶苦茶に走った。あのとき冱子は涙を流していた。
泣いてどうなるわけでもない。そんなこととっくに知っていたのに。
……もうひとつあるな。
ふと気がついた。
父親が家を出ていったときも冱子は涙をこぼさなかった。けれど数年後、父が二度と戻らないと理解した瞬間なぜか、ぬるい涙で頬を濡らしたのだった。
玄関の鈴が鳴った。
お客ね。
いつもなら接客は瑛美に任せて、冱子はオフィスから出ようともしなかっただろう。
それなのにわざわざ玄関先まで出たのは、行き詰まった気分から逃れたかったからであり、胸さわぎを感じたからだった。意外な来客があるかも、と。
当たった。
明らかに大きすぎるサイズかつシワだらけの背広、半分以上白いぼさぼさの髪、壊れたところをテープで継いだメガネ、目は細く歯は出てがりがりに痩せており『貧相』の二文字を全身で体現しているような中年男性である。
冱子は声を失った。
「どうも……」
気恥ずかしげな笑みを浮かべ、
根積 宏一郎(ねづみ・こういちろう)が立っていた。
冱子の父と、どこか似た風貌の男だ。
ここまで読んで下さり感謝しています。
マスターの桂木京介です。よろしくお願いします。
◆NPCからのともだち設定
「NPCからのともだち設定」を申請できるフリーシナリオです。
ともだち設定に関するルールはこれまでと同じです。「運営部より」をご確認ください。
仲良しだけでなくライバルとか宿敵でもいいです!
なお今回は、桂木マスターのシナリオに登場する未登録キャラクターとも、
ともだち設定を結ぶことができます!
(例:『九鬼姫』『根積 宏一郎』など)
指定された未登録キャラは後日、正式にNPCとして登録されます。
気になっていたあのキャラクターと、これを機に交流を深めてください。
◆アクションとリアクション
「ともだち設定をつけてほしいNPC」との日常シーンを描かせていただきます。
(今回はゴールドシナリオなので、描写もたっぷり!)
そのNPCが普段現れそうな場所や場面を想定して、自然に交流するアクションをお書きください。
ほしびとのNPCなら星幽塔が舞台、もれいびやひとのNPCなら寝子島が舞台となります。
例:参加PCが生徒で、NPCが担任の先生であれば……
教室での一コマ、部活の練習をみてもらってるところ、休日に駅で偶然会った、など。
例:参加PCがラーメン屋の主人で、NPCがラーメン屋に行きそうなキャラ設定であれば……
ラーメン屋での一コマ、町で偶然会って声かけた、など。
※リアクションの描写量は、シルバーシナリオからゴールド相当となります。
※不自然なものは自然な形に変更されます。あまりに不自然なものは描写がなくなります。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!