九月新学期、
御巫 時子にようやくその日が訪れた。
尚輝先生と話せる日だ。ふたりきりで。
夏休み期間中も尚輝と会う機会はあった。夏でも出勤する彼に手弁当をとどけ、花火大会では夜空に咲く大輪をわかちあい、寝子島マリンパラダイスでは思いがけず、彼の寝顔を眺めるひとときを得た。
それでも。
どうして胸が高鳴るのか。
沖縄旅行に行ったあとの尚輝先生と、他に人を交えず話せる機会はこれが、はじめてだから――。
始業式の日、
五十嵐 尚輝はふだん通りだったではないか。教室の隅から隅まで響き渡る声ではないが、しっとりと優しい、ココア味のクッキーみたいなあの口調で、
「元気でしたか」
と呼びかけてくれたではないか。
でもそれは三年五組の担任教師としてのあいさつで、省略されている対象は『みなさん』だ。少なくとも時子にだけ向けられたものではない。尚輝自身が息災であったかどうかという表明もない。もちろんこうして教壇に立っているのだから、不調ではないはずだけれど。
沖縄旅行、どうでしたか?
時子が尚輝にかけたい言葉はこのひとつだ。
電話をして尋ねてもよかった。メールでも。さりげなく自宅を訪問しても。
でも質問するのなら、もっとも慣れたシチュエーションがよかった。
だからこうして午後の授業もはじまって、弁当箱をはさんで彼と向かい合う時間を時子は待ったのだった。
いつもの化学準備室、いつもの白い机に丸椅子、目の前にはコーヒーメーカーがあって、背後には年代物の冷蔵庫が鎮座している。
「日常が戻ってきた気がします」
感慨深く時子がつぶやくと、「ちょうど」と尚輝は、茶柱が立ったのを目にしたようにほほえんだ。
「僕も同じことを考えていました」
今日のお弁当はそぼろ弁当だ。そぼろの茶色、桜でんぶの桃色、卵の黄色にホウレン草の緑(尚輝は野菜が苦手なので控え目だが)、さらに海苔の黒を用いて、時子はお弁当箱のキャンバスにモザイク画を描き出している。
「……あ、守礼門ですね」
尚輝はすぐにピンときたようだ。沖縄の観光名所、もちろん尚輝も足を運んだにちがいない。
「先生は先日、沖縄に行かれたということで……楽しかったですか?」
さすがに他のクラスメイトもいる前では聞きづらかった。
「ああ、まあ……良かったです」
尚輝らしくどこか曖昧に、タンポポの綿毛がふわふわと降下しながら着地点を探すように、黙って尚輝は頬をかいていたがやがて、「それなりに、ですけどね」と続けた。
「でもいい機会だったとは思います。相原先生たちに誘ってもらえなければ、たぶん沖縄には一生行かないままで終わっていたような気もしますし」
そういえば尚輝は、少し日焼けしたように見えるのだった。
でも、と言いかけて尚輝は口をつぐんだ。
「……でも、なんですか?」
いささか尚輝は言いよどんだが、やがて観念したように言った。
「沖縄って名所が多いので、行程の都合行けなかったスポットがいくつもあるんですよね。それが心残りです」
だったら、と言いたくなる時子だ。
だったら次は、私と行きませんか? と。
一気に言えたらどれだけ楽か。だけどもし先生がためらったり、できませんと即答されたりしたら――と、高さ十メートルある飛び込み台に立ったような気持ちが先走り、どうしても時子は口にすることができなかった。
なので表現を変える。ごく穏当に、
「私もいつか、沖縄に行ってみたいです」
『尚輝先生と一緒に』という一言を、たしかに言外に備えたままで。
「あっ、そうだ」
尚輝は立って、リュックをごそごそとやりはじめる。彼が通勤用に買ったものだ。
「御巫さんにお土産、買ってきたんです。渡そうと思って」
「そんな気をつかわなくたって」
「いえ、ほんの気持ちですから。面白い食材もあって……あっ」
しまったと尚輝は言った。
「家の冷蔵庫の中に置いてきてしまいました。朝入れようと思って……」
休み明けに持ってきますと尚輝が言うよりも、
「だったら私、明日休みですし取りにうかがいます。先生のお宅へ」
時子がこう告げるほうが先だった。
「えっ、ですが……」
「せっかくですから先生のお土産話も聞きたいです。でも昼休みだけでは時間が足りませんし」
「いやしかし僕の部屋は今ひどい状態なので……」
「だったらお掃除もしますよ。お土産とお土産話のお礼ということで」
掃除をしながらの話というのも、いいものですねと時子は思う。できれば台所を借りて調理もしたい。といっても、ガスや水道がきていれば、の話だが。学校にいることの多い尚輝は、けっこうな頻度で公共料金の支払いを忘れてしまうのだ。
でも、とか、悪いですよ、と遠慮していた尚輝が、じゃあ、汚いところですけど――と受諾するまでに、それほどの時間はかからなかった。
リクエストありがとうございました! 桂木京介です。
シナリオ『faraway, so close』のエピローグにして、御巫 時子様へのプライベートシナリオをお届けします。
概要
九月に入ったばかりの休日、残暑厳しいなか五十嵐 尚輝のアパートに向かいます。そんな一日を描きたいと思います。
尚輝のアパートはクラシックな、といえば聞こえはいいですが、相当に古くてボロボロの建築なので、なにかと不自由があるかもしれません。さすがに空調はあるものの、水道やガスについては、アクション次第で『止まっている』『尚輝が急いで支払ったので使用可能』と変化することでしょう。
どうしても居心地が悪ければ場所を移動することも可能です。
尚輝に聞きたいこと、見せてもらいたいもの(写真やパンフなど)があればご希望をお寄せください。
尚輝は沖縄で色々とお土産を買ってきました。沖縄の食は気に入ったようで、寝子島では珍しい食料品も持ち帰ったことでしょう。調理される場合はそのあたりも考慮に入れてみてはいかがでしょうか。
せっかくのプライベートシナリオですのでできるだけ自由に、気のおもむくままアクションをかけていただければと思います。アクションを楽しみにお待ちしております。
それでは、次はリアクションで会いましょう!
桂木京介でした。