店の名は『ねこのしま』。
ぱっと見はよくある猫カフェと大差ない。フローリングの大きな部屋がひとつ、あとひとつはカーペット敷きの部屋、いずれも八畳くらい。
この空間に多数の猫がごろごろと、思い思いにすごしている。寝ているものあり歩き回っているものあり、来店者は猫たちを観察したり、なでてみたりちょっと遊んであげたりする。いや、お客が猫に遊んでもらっているのかもしれない。
しかし店はただの猫カフェではない。保護猫カフェだ。
野良猫だったり捨て猫だったり、飼い主に虐待を受けていた猫たちが、保護され共同生活している場所なのである。もちろん通常の猫カフェ同様に猫を見てさわって癒やされて帰ることもできるが、里親つまり新たな飼い主となって猫を譲り受けることもできる。
猫と人との出会いの場なのだ。一時的にせよ、永続的なものにせよ。
いまは平日の正午すぎ、天気はいいが時間帯が時間帯だ。空いているのは否めない。というより、お客は現時点たったひとりだった。
昼から大学の授業というバイト店員と交代し、『ねこのしま』代表
鈴木 冱子(すずき・さえこ)はオフィスから店内に入った。
「いらっしゃ……」
唯一の客に声をかけようとして息をのむ。
店内はまるで静止画だった。猫はぽつぽつといるがいずれも丸くなって動かず、カーペットにあぐらをかいて冱子に背を向ける客もまた、ダルマの置物みたいに動かない。
中年男性だ。背は小さく、あきらかに丈の余っているスーツは灰色でくたびれて見えた。髪には白いものが混じっている。いや、半分以上白いというほうが正しい。
冱子を驚かせたのはカフェの様子ではなかった。
客が動かないことでもなかった。
彼の背に、既視感をいだいたからだった。
――お父さん!?
どうしてここに、と言いそうになって思いとどまる。
父親のはずがないではないか。客は若くなさそうだが、それでもさすがに六十歳を越えているようには見えない。もし冱子の父親がまだ生きているとしても、とうに還暦を回っているはずだ。
父ならもっと大柄なはずだし、スーツだって丈にあったものを着ているだろう。もっとも、スーツを着るような仕事をしていればの話だが。
でも。
あの客には。
冱子が最後に見た、父の姿を彷彿とさせるものがあった。
「ああ、こんにちは」
ひょいと振り向いた男の顔はやはり、せいぜい見積もって五十代、もう少し若いかもしれない。やせぎすで、ひどく前歯が出ていて眼鏡で、しょぼしょぼとした目をしている。輪郭はともかく、目鼻立ちは冱子の父とはあまり似ていなかった。
だけど似ているのだ。雰囲気が。疲れ切っていて悲しげで、口元だけで愛想笑いしている。
「お邪魔していますよ。はじめて来ましてね、このお店。でもとってもくつろいでます。猫ちゃんたちもいい。みんな幸せそうだ」
いいお店です、と男は浅くうなずいて言った。
「ほら私ね、こんななりでしょう? 歯も出てるしやせてるし、正直、動物のネズミっぽい顔じゃないですか? ……いいえいいんですよ自分でもわかってますから。それでですね、お笑いぐさなことに私ね、名前もね、なんと『ネズミ』なんです。笑っちゃいますよねえ? 根っこの『根』に積み木の『積』で
根積(ねづみ)って書くんで、ツに点々のヅですけどね。でも、ネズミな私なのに猫ちゃんが好きなんですよ。漫画のキャラクターとは逆ですね。ほら、あの青い猫型ロボットの」
とりたてて面白い話でもなかろうに、根積はふふと声に出して笑った。
「猫ちゃんはいい。猫は私を見た目で判断しないから。内心じゃ『なんだこいつ』と思っているのかもしれないけれど、他の人間と露骨に差をつけてきたりしないんですよねえ」
腐ったマグロの刺身のように、糸を引いているかと錯覚するほどねちっこい口調だ。
「今日はこのあと、大事な用事があるんです。嫌ぁな用事ですよ。とても嫌な。だからね、猫ちゃんたちに少しでもリラックスさせてもらおうと思って……ああ、いけませんね、私、ついつい話し出すと止まらなくて……」
人によっては、薄気味悪いと嫌悪感をいだくかもしれない。
でも冱子はちがった。
やっぱり、似てる。
顔は似ていないけど、話し方も雰囲気も。
……お父さんに。
「どうかしましたか?」
ずっと黙っている冱子の様子に、むしろ根積のほうが不審に思ったらしい。
「い……いえ、なんでも。どうぞごゆっくり」
冱子は、彼女にしてはめずらしいことに作り笑いを浮かべると、反転して入り口に向かう。特に用件があるわけではない。むしろここにいて、もう少し根積の話を聞いてみたいという欲求を振り払って歩き出したのだった。
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風にのってどこからか、涼やかな香りがただよってくる。
乾燥した藁みたいにくすぐったくて、レモンのように甘酸っぱい。
この匂い、知ってる。
レモングラスだ。ハーブの。
雲のほとんどない晴天、新学期のはじまって間もない午後の帰り道、
羽奈瀬 リンは目を細め、香りの流れ来るほうに目を向けた。
あの子――?
リンが探している少女ではないと思う。
でも、一瞬目を疑ったのもゆえなきことではなかった。
どこか浮世離れしているというか、この世の人ではないような印象を受けたから。
猫又川に面した古い団地の、脇に立っている給水塔。少女はその中央付近の手すりに手をかけて空を眺めていた。
同い年くらいだろうか。
もっと歳上と言われても納得しそうだし、逆に、小学生だといわれても納得しそうだ。
それくらい現実感がないのだった。
エメラルドグリーン色の髪、肩のあたりまで伸ばしているが束ねてはいない。風が吹くたびに髪が揺れている。それに、袖のない真っ白なワンピースの裾も。
距離があるはずなのになぜか、リンはあのレモングラスの香りが、彼女からただよってくることがわかった。
なんとなくだけど、この世の人じゃない気がする。
ほしびと、というものだろうか。
「あの……」
危ないですよと言おうかと思った。給水塔はもう使われていないらしく、ところどころ錆びて傾いてすらいる。登りハシゴのところには、『侵入禁止』の貼り紙すらあるではないか。
何をしているのかはわからないが、風のある日にあんな場所にいるのは危なっかしい。
あっ。
リンの心臓が一度、高く跳ねた。
少女がリンに顔を向けていた。たぶん、ほほえんでいる。瞳もまた宝石のような翆だ。
見て、とでも言うように少女は顔をもう一度空に向けた。リンは彼女の視線の先を追った。
蒼青(あお)い空。突き抜けるくらい高くて、深くて。
空に白い月が浮かんでいた。半分欠けた月だ。
給水塔に視線を戻したとき、少女の姿は消えていた。
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あー……とつぶやいて
吐前 亀二郎(はんざき・かめじろう)はポケットというポケットを探った。
やっぱり、ない。
免許証は車に置いてきてしまったようだ。まったく、うっかりしたものだ。
かといって取りに戻るのは面倒だった。
「顔パスって言うわけには、いきませんかねえ。はい」
とりつくろった笑顔を窓口に向ける。半分以上白い髪に、指でもんだ筆先みたいにもさもさしている眉毛。眉のほうはほぼ真っ白だ。毛の量が多すぎて目は半分隠れてしまっている。
こんななりだから人には警戒されない。それに、よく顔を覚えてもらえる。どちらも仕事に役立っている。
ところが受付の中年女性は、眼鏡の位置を直すと冷たい表情で言った。
「規則ですから」
「もう~、何回も来てるのに~」
あ、そうだと気がついて、吐前は警察手帳を取り出した。こちらはいつだって、肌身離さず携帯している。証明写真の吐前は、今よりもう少し髪が黒い。
「はいどうぞ」
受付女性は顔も上げずに告げて手元のスイッチを押した。
エレベーターのドアが開いた。おそろしく旧型で、扉はべったりと小豆色をしている。ただし受付でスイッチ操作しなければ絶対に動かない。その受付は鉄格子つきの扉の向こうだ。防犯対策である。マスコミ避けという意味もあった。
まあ、脇坂さんにはもう、そう頻繁に面会する必要はないんですけどね。
脇坂 香住(わきさか・かすみ)は二か月前、寝子島で銃乱射事件を起こした。
彼女は現在、島内の児童自立支援施設にいる。この場所だ。
香住が拾ったと主張する銃の出所を亀二郎は追い、この施設にも何度も足を運んだものだ。
「本日、脇坂さんには他に面会の約束が入っています。手短にお願いします」
受付の女性がやはり、まったく顔を上げずに告げた。
「ご心配なく、すぐすみますから」
香住が拾った銃を入手した犯人が、島外で捕まったことを報告に行くだけだ。もっとも、逮捕直前に自殺されてしまったので、警察が捕まえたのは死体だけだが。現地警察の失態だった。
もちろん詳細はぼかして、ただ犯人が捕まったとだけ明かすつもりだ。
面会人ね。
誰だろうかと吐前は思った。
ついこんなことを考えてしまうのは、刑事の悪い癖である。
ここまでお読み下さりありがとうございました。桂木京介です。
羽奈瀬 リンさん、ガイドにご登場いただきありがとうございました!
ご参加いただける際は、ガイドの内容にかかわらず、自由にアクションをおかけください。
概要と状況
出会いをテーマにした日常シナリオです。
タイトルにありますように舞台は四月です。新たな人や物との出会い、発見や経験、学び直しや温故知新的な内容でもいいでしょう。
入学進学で誰かと知り合うとか、面識程度しかなかった誰かと親しくなるとか、そんなお話も面白いでしょうね。
といっても日常シナリオですので、『とくに出会いはなかったけどいい一日でした』『出会いの予感……だけあったけど何もなかった』というのもありです。
事件の予感もしますが、とりあえず次作以降につなげるという意味で用意しただけですので、本作で事件発生から解決までたどる展開にはならないと思います。(そして、展開によっては何も起こらない可能性もあります!)
NPCについて
ガイドに未登場でもあらゆるNPCは本作に登場可能です。
特定のマスターさんが担当している非公式NPCの場合ちょっと調整が必要ですが、アクションに記していただければ登場できるよう努力します。
ただし以下のNPCだけは取り扱いに注意が必要です。
●エメラルドグリーンの髪をした少女
ガイド登場のNPC。ほとんど何も決めていません。具体的に言えば……名前も!
おそらくほしびとですが、それ以外はあえて設定ゼロにしております。
リン様に限らず、ボーイ・ミーツ・ガール的に彼女と知り合ってもいいでしょう。
アドリブ度を『S』にされているPC様に対しては、彼女のほうから会いに来るかもしれません(!)。
●紗央莉(さおり)
キャバクラ『プロムナード』の店員です。
シナリオ『雨の中のワルツ - a waltz in the rain』で誘拐されかかった精神的ショックから、部屋に籠もってしまい外出しなくなってしまいました。当然、店にも出てきません。
(同じような眼にあった九鬼姫(くきひめ)は回復しています。
●吐前 亀二郎(はんざき・かめじろう)
寝子島署の刑事です。銃乱射を起こした中学生、脇坂 香住(わきさか・かすみ)の面会に訪れます。
なお他の面談者は、現時点(アクションが来る前)では今道 芽衣子を予定しています。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、恋人、運命の相手など。参考シナリオがある場合はページ数も)を書いておいていただけると助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!