喫茶『セピア』。その二階にある、雇われ店長が住む居住スペースには、無数の本であふれかえる書庫がある。
そこに眠る書物たちは、売れないながらに作家を兼業する店長が、執筆の資料として集めたものだ。
部屋は定期的に掃除され、書物もまた余暇を見ては虫干しをされている。
――さて。この世界には「人から大切にされた物には魂が宿る」というような話がある。
仮にもし、それが本当だとしたら。たとえば、これらの書物に、魂が宿っていたとしたら。
はたして、それらはどのような「物語」を紡ぎだすのだろうか――
これは、喫茶『セピア』。その二階にある、書庫から始まる話。
※
「ユーヤ、寒い」
七月の中旬。猛暑まっさかりな週末のことだった。
学校が休みであることをいいことに、心おきなく寝坊をした少女――
薬葉 依菜里は、ベッドの上でもこもこの布団に包まりながら言った。
「そうだな。俺も寒い」
連日、猛暑日が続いている寝子島。しかして、ベッド下の引き出しから数着の冬物を引っぱり出しながら、はんてんを羽織った男――
鎮目 悠弥も言った。
顔だけを布団から出した依菜里が、ちろりと悠弥を見やる。
「ユーヤ。なんでここ、エアコンないの」
「そういうことは、オーナーに言ってくれ。一階にはストーブがあるだろ」
「下に降りるまでが寒いの!」
「わかってる。だから今、冬物を出してるんじゃないか」
「……そうだけど」
淡々とした悠弥の返答に、依菜里はむすりとして口を閉ざした。
窓の外では、真夏の太陽がさんさんとかがやいているというのに、この喫茶『セピア』だけは、異様なほどに寒い。
「それにしても、オヒョウさんの放つ冷気はすさまじいな。まるで、真冬だ」
ベッドの横。感心したように呟いた悠弥の息が、白く煙る。
そのようすを見て、依菜里はふてくされたように頭から布団をかぶった。
もう、季節も夏になった。『セピア』では、いくつかの季節限定メニューを用意して、店の制服も夏用の生地が薄いものを新調し、依菜里は新しいワンピースを買ったり、店の周りでヒマワリを育てたりしていた。
ところが、現在の『セピア』は臨時休業中で、かつての助っ人から正式にアルバイトとして雇われた彼らが、真新しい夏用制服に袖をとおしたのは、数えるほど。少ないお小遣いで依菜里が買ったワンピースにいたっては、一度も着ることができていない。育てていたヒマワリだって、この異常な冷気のせいで、みんな枯れてしまった。
それもこれも、すべては彼女のせいだった。
オヒョウと、悠弥がそう呼んでいた彼女。一週間ほど前に現れた、黒くつややかな長い髪と雪のように白い肌が印象的な女性――否、雪女。
以前、店に現れた妖精ピクシーたちと同様、書物から出てきてしまったらしい。けれども、彼女は意図してそこから出てきたわけでもなければ、自分がどうしたら書物に戻ることができるのかすら、知らなかったのである。
常に強い冷気を放ち、行くあても帰るあてもない彼女を、お人好しの悠弥は、放っておかなかった。書物に戻れるまではと、依菜里が学校へ行っている間に、オヒョウの面倒をみると決めてしまった。
「もし。悠弥さまは、こちらにいらっしゃいますでしょうか」
こんこんと、ドアをノックする音がする。「いますよ」と返事をした悠弥の、立ちあがる気配がする。部屋の主である依菜里の許可も取らずに、ドアの開く音がした。悠弥と、オヒョウの、話し声――
依菜里は、分厚い布団越しでもわかるそれにもかまわず、冷気で満ちた布団の外へと飛び出した。
「出てって! 帰ってよ! ここは、イナリたちのおうちなの! アナタのおうちじゃないの!」
大声で叫び、依菜里はドア口に立つ悠弥とオヒョウを突き飛ばした。よろめいたオヒョウを、悠弥が支える。そんな光景が、部屋を出る間際に見えて、依菜里は無性にいらいらした。
遠く、後ろのほうで、依菜里と、悠弥の呼び止める声がする。けれど、それでも、依菜里は振り返らなかった。
はじめましての方も、そうでない方も、こんにちは。
ゲームマスターの「かたこと」です。
舞台は、旧市街側の九夜山付近にある喫茶店「セピア」。
大正浪漫を感じさせる内装の、この古き良き喫茶店。今回も、ちょっとした異常事態のようです。
前回、「セピア」に現れた「妖精ピクシー」に続き、今度は「雪女」が現れたのです。おまけに、依菜里は「セピア」を飛び出していってしまいました。
さて。それでは、今回のシナリオの趣旨を説明いたしましょう。
今回、皆さまには、この「セピア」に現れた雪女オヒョウとのふれあいや、急に飛び出していってしまった依菜里の捜索、連れ戻しなどをしていただきたく思います。
オヒョウは、二十代半ばほどの女性の姿をしており、容姿は整っています。性格はおしとやかで、態度も大変友好的です。
現れてからは、ずっと「セピア」にこもりきりですが、しばしば、珍しそうに窓の外をながめたりもしていたようです。
依菜里の言葉で、少々傷ついてしまったようで、今は書庫にこもっています。
依菜里に関しましては、寝間着姿のまま飛び出してしまったため、大変目立つのではないかと思います。けれども、そんな格好で飛び出すくらいですから、依菜里を連れ戻すには何かしらの説得が必要となるかもしれません。
皆々さまにおかれましては、臨時休業中と知らずに訪れてみたり、長期に渡る休業を不審に思ってようすを見に来たり、それはそれとして寝間着姿の依菜里を発見して事情を聞いたり、それぞれ自由な立場で関わっていただければと、思います。
もちろん、今回の異常事態でも、前回のように不思議な力で「セピア」に呼びこまれたり、猛暑ゆえ冷気に惹かれてやってきたり、店の前を通りすがって悠弥に手伝いを求められたりと、ご来店のきっかけや理由は、どのようなものでもかまいません。初めての方も、そうでない方も、どうぞ、お気軽に。
それでは、私も喫茶店「セピア」にて、皆々さまのご来店をお待ちしております。
【登場人物】
※鎮目 悠弥 …… 28歳
ややつり目がちで表情にとぼしいため、誤解されやすいですが、マイペースで心優しい男性です。
数年前、寝子島へと移り住んできました。
現在は喫茶店「セピア」にて、住みこみで雇われ店長兼売れない作家をしています。
作家として活動しているときは、「硯 いろは(すずり いろは)」という筆名を使っており、子どもに夢を与えるような児童文学を好んで書いています。
「硯 いろは」名義の個人サイトでは、寝子島での生活や、お店でのことをエッセイとして綴っているようです。
※薬葉 依菜里 …… 7歳
寝子島小学校二年一組に通う、明るく元気いっぱいな女の子です。
悠弥を雇った喫茶店「セピア」のオーナー、その孫に当たります。
好きなものは、悠弥が作る和風パフェですが、基本的に甘いものには目がないようです。