それは、今から三十年ほど前のこと。
関東のある都市で、事件は起きた。
仮りに都市の名前をA市としよう。
その市に本社を置く健康食品会社Bでは、自社の研究施設で美容と健康に大きな効果をもたらすという、新しい果物の開発を行っていた。
その結果出来上がったのは、アンゲリシュと命名された果物だった。
アンゲリシュはマンゴーのような卵型で、大きさもちょうどそのぐらい。桃のようなピンク色をしているが、熟すほどに赤味が増して、完熟したものはトマトやリンゴのように真っ赤になる。
芳醇な甘さと香りを持ち、果肉はやわらかくたっぷりと水分を含んでいる。
食べれば肌はつやつやになり、ダイエットにも効果があるという。
B社はこれを『天使の果物』と称して、実験的にA市のスーパーやドラッグストアで売り出した。
その売れ行きは好調で、B社では販売範囲を市の外まで拡大する計画が考案されるまでになった。
ところが。
発売から三ヶ月が過ぎるころ、アンゲリシュを食べた人々が突然倒れて意識不明に陥るという事態が起こった。
「……まさか、アンゲリシュのせいだというのか? だが、人体に有害な物質など、含まれてはいないぞ」
研究施設の所長は、驚きと共に呟く。
アンゲリシュ育成に関しては、当然ながら細心の注意を払っていた。土も肥料や水も、厳選したものを使っている。そして発売前には、きっちりとアンゲリシュそのものの成分分析も行っていた。
そんな中、信じられないような事実が、倒れた人々の治療にあたった医師たちから告げられた。
「患者たちの体の中を、植物の根がおおっています。……この根は、患者たちの体から養分を吸収し、成長していると思われます」
そして半月後。
一番最初の患者の胸部から、植物の芽が顔を出した。
それは、アンゲリシュの芽だった。芽は更に半月ほどで花が咲き、それから二週間で実が成った。
そう、果肉と共に体内に入ったアンゲリシュの種は、消化されることなく胃の中で定着して発芽、体中に根を張って養分を吸い取り、やがて体の外に頭を出した芽が花となり実をつける――といった過程を経ていたのだ。
しかも性質の悪いことに、体中に根を張るまでは、ごく普通に動けてしまう。
だから、患者たちはアンゲリシュを食べてもしばらくはなんの不調もなく生活していて、ある日突然、倒れることになったのだ。
だが、B社の上層部はそれがアンゲリシュのせいであることを認めようとはせず、更にB社から多額の賠償金をもらった患者の家族らが口をつぐむことで、事件はうやむやになった。
その一方でB社は、隠ぺいのため極秘にアンゲリシュの回収と廃棄を行った。
そんな中、研究施設に勤務する者の中からは、倒れた人々からアンゲリシュを取り除くための方法を探すべきだとの声が上がり、一部の研究者たちがそれに着手した。
その陣頭に立ったのが、研究主任の岡崎 史郎と研究員の田島 和也だった。
会社は彼らの行動にいい顔をしなかった。が、それに対しても岡崎が真相を世間に公表するとほのめかすことで、黙認されることとなった。
こうして、事件から二年後には、人体に影響を及ぼさずにアンゲリシュの根を枯らす薬が開発された。
しかしながら、患者の多くは助からなかった。
助かった者たちも、意識は戻らないままだったり、体のほとんどが麻痺したままだったりと、大きな後遺症が残った。
ただ、これらの事実は一般にはほとんど知られていない。
B社が患者の家族や、関わった医師らに金を渡して黙らせたためだ。
ネットや当時の週刊誌を漁れば、ちょっとした噂ぐらいは拾えるかもしれない。だが、それらはあくまでも、真実のほんの断片にすぎないのだった。
ちなみにB社の研究施設は事件の五年後に閉鎖され、研究者らも多くはB社を去ることとなった。
××××
鎌倉の一画にある小さなビルに、泥棒が入ったのは昨年の夏のことだ。
三階建てのビルは、ほとんどが空き部屋で、使われている部屋も住居ではなくトランクルームとしての利用が多い。
そのため、現金やカード、通帳などといったものの被害はなく――だが、ビルの一室を借りていたある人物は蒼白になった。
「……種が……種が盗まれた……!」
彼は、真っ青な顔で叫ぶと、その場にへたり込んでしまった。
男は、B社の社員だった。
研究施設の閉鎖と共に、アンゲリシュは全て焼却処分された。ただ、今後何かあった時のためにと、小さなガラスケースの中に、種が数粒残されたのだ。
男はそれを、このビルの一室に、他の関係資料と共に保管してあった。
その種が、盗まれたのだ。
「……いったい、どうしたらいいんだ……」
男はただ、途方にくれて呟き、その場に突っ伏した。
××××
三月。
寝子島は春の温かさと花の香りと、明るい光に満ちていた。
天利 二十はスマホの画面から顔を上げ、立ち上がって大きく伸びをする。
今日はいつにも増して温かく、事務所の窓は開けっぱなしだ。そこから、時おりやわらかな風と共に甘い香りが流れて来る。
「なんというか……春だな……」
ぼんやりと呟いて、一服しようとタバコを口にくわえたところに、来客があった。くわえたタバコを箱に戻して、彼は事務所の戸口に赴く。
入って来たのは、二十代前半と見える若い女性だった。
「樋口 紀子と申します。実は……お願いしたいことがあって、参りました」
女性は一礼して名乗ると、言った。
天利は彼女に椅子を勧めると、自分もその向かいに腰を下ろした。
「で、依頼の内容は」
促す彼に、紀子は口を開く。
「妹を……助けてほしいんです」
彼女の話によれば。
彼女の妹、樋口 路子が三日前に突然倒れ、病院に運ばれたという。いくつかの検査の結果、路子の体内には植物の根が張り巡らされており、それが養分を吸い上げているのだそうだ。対処方法はなく、現在はただ生命を維持するために栄養剤を点滴されるにとどまっている状態だった。
そんな中、紀子は路子がネットの通販で見たことのない果物を購入して食べていたことを思い出した。
悪いとは思いながらも、妹のスマホの履歴やメールを調べてみると、怪しげな通販サイトで『アンゲリシュ』という美容とダイエットに効果があるという果物を買っていたことがわかった。
「妹は、以前からダイエットがうまく行かないことに悩んでいて……これまでも、ネットでいろんな薬だとか健康食品だとかを買って試していたんです。なので、この果物も、その一つだったんだと思います。ただ……その果物は、とても危険なものだったんです」
言って紀子は、自分がアンゲリシュについて検索して知った噂を、天利に告げた。三十年前にA市で起こった事件のことを。
「……つまり、妹さんが倒れたのも……」
「はい。おそらく、アンゲリシュのせいだと思うんです」
うなずく彼女に、天利は尋ねた。
「B社に問い合わせは?」
「してみましたが……当社には関係ないとの一点張りで。しつこくねばってやっと、研究施設が二十五年前に閉鎖されて今はもうないことを教えてもらえた程度でした」
「だが、当時は治療薬も開発されたんだろう?」
かぶりをふって言う紀子に、眉をひそめて天利は問い返す。
「ええ。私が見たネットの記事には、そうありました。でも、B社の窓口では、そんな事実はないと。……そもそも、事件そのものがアンゲリシュのせいではないのだから、そんな薬を開発する理由がない、と言われました」
言って、紀子は頭を下げた。
「どうか、お願いします。どんな方法でもいいんです。妹を、路子を助けて下さい!」
「……わかった。できるかどうかわからないが、薬のことも含めて、何か助ける方法がないか、探してみよう」
少し考え、天利はうなずく。
「ありがとうございます!」
紀子はそんな彼を、拝まんばかりに再び頭を下げた。
紀子が帰ったあと、天利の事務所にもう一人、来客があった。
こちらは六十代ぐらいに見える男性で、永森 保と名乗った。
勧められた椅子に腰を下ろし、しばし無言で膝に落とした自分の手を見つめたあと、彼はまずは聞いてほしいと、三十年前のA市での事件のことを語り始めた。
更に、数粒残されたアンゲリシュの種と研究資料が、昨年盗まれたことも告げる。
「――種の盗難後、私と会社から命令を受けた同僚数人がその行方を捜しました。その甲斐あって、盗んだ犯人には逃げられたものの、奴が盗んだ種から育てたアンゲリシュの実は全て焼却することができました。株の数から考えて、盗まれた種は全て植えられ、発芽したと思われます。ですから、そちらは解決しました。ただ……犯人は、私たちが見つける前に、収穫した実をネットを通じて販売していたんです。社の方には、いくつか、その件で問い合わせが入っていて、どうやらすでに被害者が出ているようなのです」
永森の話を黙って聞きながら、天利はおいおいと思う。
樋口 紀子の妹も、その被害者ではないのかと。
だが、彼は何食わぬ顔をして問うた。
「根を枯らす薬は、もうないのか? 以前は、それでどうにかなったんだろう?」
「薬は、もうありません。……薬の作り方を記したノートも失われてしまっています」
答えて永森は言う。
「私がここに来たのは、そのノートをあなたに探してもらいたいからなのです。研究の中心人物だった岡崎はすでに亡くなっていますが、彼は施設が閉鎖されて会社を辞めたあと、この寝子島に住んでいました」
「つまり、そこにあるかもしれない……と?」
問い返す天利に、「その可能性はあります」と永森はうなずいた。
ただ、確実ではない、と彼は言う。
ちなみに、岡崎がかつて住んでいたのは九夜山の山中にある小屋だそうだ。彼はそこで、晩年をまるで隠遁者のように過ごしたらしい。そしてその小屋は今も、当時のままそこに残されているという。
永森は、更に言った。
「それと、この寝子島には、彼のたった一人の肉親だった姪が住んでいるはずです。名前は岡崎 佳代子。おそらく今は、四十代ぐらいになるはずですが、彼女がノートを持っている可能性もあります」
そして彼は、一枚の写真を差し出す。
そこには、寝子高の制服を着た、おさげ髪の十五、六歳ぐらいの少女が写っていた。背後には、寝子島神社の鳥居が見える。
「これは、三十年前のものですが……彼女の写真です。自宅近くの神社前で撮ったものだと聞いています」
「ああ……」
天利は、曖昧に答えて、それを手に取った。
「他に、ノートがありそうな場所に、心当たりは?」
念のため、天利は問う。
「そうですね……。あとは……田島 和也が持っている可能性もあります」
少し考え、永森は言った。
「岡崎と共に、薬の製造を牽引した研究者です。彼は今も健在ですが……認知症で、鎌倉の介護施設に入っています。種が盗まれたあと、会いに行きましたが、話すのは難しいかもしれません。ただ、勤めていたころのファイルやノートを肌身離さず持っていて、自分のベッドのマットの下に常に敷いて寝ているのだと、施設の職員さんが笑って話してくれました。ですから、もしかしたらその中に……」
「なるほど」
天利はうなずく。
その彼に、永森は田島の入っている施設の住所と電話番号を教えた。
それをメモしながら、天利は思う。
もし薬の製法がわかれば、紀子の妹を助けることができるかもしれない。
「わかった。引き受けよう」
天利はうなずいた。
永森が帰ったあと、天利は改めてタバコに火をつけ、ゆっくりとそれを吸う。
「……引き受けたはいいが、俺一人じゃ、少しばかり手に余るな。誰か、手伝いを頼むか……」
低く呟き、昇って行く煙を追うように、彼は窓の外に目をやった――。
こんにちわ、マスターの織人文です。
今回は、人間の体の中で育つ種を枯らすための、薬の製造法が書かれたノートを探していただきます。
もちろん、どなたでも参加していただけます。
PCの行動について
以下の中から一つを選んでご参加下さい。
A、岡崎 史郎の住んでいた小屋を調べる。
今も九夜山に残っているという、岡崎の小屋を調査します。
小屋は今は廃屋となっており、玄関に鍵はかかっていない状態です。
B、岡崎 佳代子を探す。
写真を手がかりに、佳代子を探します。
C、田島 和也を訪ねる。
鎌倉の施設に入所している田島を訪ねます。
D、その他
上記三つ以外の方法で、ノートを探します。
PCさまの自由な発想でどうぞ。
調査の際には、もちろんろっこんを使うのもOKです。
なお、アクションはできるだけ具体的に書いていただけると、助かります。
NPC他
【天利 二十】
44歳。旧市街に自室兼事務所をかまえる売れない私立探偵。
【樋口 紀子】
20代前半の女性。天利 二十に妹を助けてほしいと依頼に来た人物。
OL。
【樋口 路子】
紀子の妹。大学生。
ダイエットのために、ネットの通販でいろいろなものを買っていた。
アンゲリシュの実を食べ、意識不明となる。
【永森 保】
60代。B社の社員で、アンゲリシュの種の保管を任されていた。
三十年前は、研究施設の所員だった。
【岡崎 史郎】
故人。三十年前は、B社の研究施設に勤めていた。
アンゲリシュの根を枯らす薬を開発する。
【田島 和也】
岡崎と共に、薬の開発に当たった研究員。
現在は鎌倉の施設に入所している。
【岡崎 佳代子】
40代。
B社のかつての研究主任・岡崎の姪。寝子島の住人。
永森が持参した写真では、おさげ髪の15、6の少女。
寝子高の制服を着用。
【B社】
健康食品会社。
三十年前、アンゲリシュの実を開発する。
【アンゲリシュの実】
B社が、美容とダイエットにいいとして研究開発した果物。
マンゴーぐらいの大きさで卵型。
桃色の実が熟すと赤くなる。
それでは、みなさまの参加を、心よりお待ちしています。