『温度差』-4-
眼前が開け、赤く染まった空と海が目に飛び込んで来る。
思いがけない光景に、二人は手を繋いだまま、しばらくそれを眺めていた。
沈む夕陽の最後の欠片が、強く光って海に溶けると、闇が辺りを支配する。
遅れて鈴音が鳴り響いた。
通学路。
刀が黒猫に出会った場所に、二人は戻って来ていた。
「なんだったんだ?」
刀は呟き、辺りを見渡す。猫の姿は無い。
「手……」
え? と千歳を見る刀。
「手……、もういいよ……」
千歳は目を、合わせない。
慌てた刀が手を放す。
「すまんっ」
自由になった手を、千歳はざわつく胸に当てた。
温まった手と、心の温度が一致する。
そんな二人をからかう様に、二匹の猫が、楽しげに鳴く。
空にはいつの間にか、月が顔を覗かせていた。
『温度差』-3-
丸くなった黒猫が耳だけを立て、階段下に向ける。
と、下から靴音が近付いて来た。
早かったな……。
拍子抜けして刀は見下ろす。
双子の様な黒猫に続いて、見覚えのある赤いリボンの少女が現れて、名を呼ばれた。
「千歳か……」
黒猫達は互いの体を擦りつけ合うと、仲良く並んで数段上って止まり、振り返って同時に鳴いた。
来いって事か?
刀は千歳が来るのを待って、手を差し出す。
「行くぞ。千歳もアイツを追って来たんだろ?」
差し出された手を前に、千歳は数瞬、躊躇した。
戸惑いながら手を出すと、大きな手で包まれる。
その手はとても、温かかった。
「手、冷たいな? ジャケット貸すか?」
刀の申し出を丁重に断ると、何故だか心がざわついて、目を背けた。
刀は千歳の様子を気にも留めず、黒猫を見上げる。
「さてお前ら、どこに連れて行こうってんだ?」
黒猫達は顔を見合わせ、再び鳴く。
刀に手を引かれながら、千歳は心と体の温度差に戸惑っていた。
手に伝わるぬくもりに、平常心が失われていく。
それでもなんとか取り繕って歩を進める。
導く猫達をしばらく追うと、漸く壁が途切れ、そこで階段も終わった。
『温度差』-2-
少年は階段に腰掛け、夕陽に染まった空を見上げると、土壁に寄りかかる。
目の前には緑色の目を輝かせる美しい黒猫。
学校帰りにその猫を見つけ、近寄ったら鈴の音が響いた。
瞬間闇が訪れ、それが晴れたらここに居た。
「またか……」
少々の怪異には慣れてしまっていた。
数々の事件と出会って来た寝子高のもれいびであれば、それも仕方ない事かもしれない。
少年、御剣刀は跳ねた髪を掻き上げながら黒猫に問う。
「で、今回はどうすればいいんだ?」
猫はその場で丸くなると、欠伸をしながら一声鳴いた。
まあ、座れ。そう聞こえた気がして、刀はそれに従った。
突然黒猫が、階段の先へと走り去ってしまった。
千歳は慌てたが、少し上ると黒猫が見えた。
何故だか二匹に増えている。
それだけでは無い、壁にもたれて座りこんだ見覚えある少年が見えた。
「刀……君?」
千歳は少年に呼び掛けた。
『温度差』-1-
夕陽が赤みを増し、夜の黒を孕みだす。
左右を土壁に囲まれた緩やかな階段を、少女は一段ずつ確かめるように上っていた。
吹き下ろす冷たい風に、赤いリボンで纏められた髪がなびく。
折り目正しく着こなした制服は、まだ温かさを保ってはいたが、いずれ沁み入る冷気が体を冷やしてしまうかもしれない。
「羽織るものを持ってくるべきだったわね」
橘千歳は呟いた。
答えるように猫の鳴き声が響いた。
声の主は数段先で、千歳を待つように座っている。
いずれ訪れる闇に溶けてしまいそうな、美しい黒猫。
千歳はその黒猫を追って、ここまで来たのだった。
学校帰りの何気ない寄り道。
只、それだけのはずだった。
追ううちに迷い込んだ路地の先に、この階段はあったのだ。
見上げても、緩やかにカーブした階段の先は、続く壁が現れるばかりで見通せない。
引き返そうかと振り返れば、引き止めるかのように猫が鳴く。
近寄れば数段先に走り去り、そこでまた千歳を待つ。その繰り返しだった。
この先に、何があるのだろう?
千歳は導かれるまま、再び石段を上り始めた。