「ここにxを代入してaをこっちに……っと」
右耳から左耳へ素通りしていく音楽のような声、穏やかな笑みが似合う甘いマスク、柔らかな茶髪から匂いたつフレグランス。
付箋を挟んだ参考書に目を落とし、しなやかな指先で赤ペンを弄び、方程式の解き方を流暢に説明していた先生がふとこちらに視線を向ける。
意味深な流し目に背筋がぞくりとする。
チェシャ猫を思わせるどこか意地悪な嗤い方。
この笑い方はなにかを企んでいる証拠だ。
「僕の授業は退屈かな」
はい、ともいいえ、とも即答できず俯いてどもる僕を微笑ましげに眺めやり、参考書を伏せた先生が耳元で呟く。
「次の問題が解けたらご褒美をあげるね」
「ご褒美って……」
生唾を飲んでおずおずと問い返せば、悪戯っぽく人さし指を立てる。
「ヒ・ミ・ツ」
集中できる魔法だよと呟いて、自分の唇に触れさせた赤ペンの尻をちょんと僕の唇に押しあてる。不意打ちの間接キス。
「さあ、僕の方ばかり見てないで。勇気を代入してあげたんだからがんばってくれないと」
先生はずるい。
僕の気持ちをわかってるくせに。
でもそんな先生を好きになったのは僕だから、
「………ご褒美は?」
「それはあとのお楽しみ」