赤毛の青年が深呼吸をひとつ、飴色の光沢帯びたヴァイオリンを肩と頬の間に挟み、正確無比な角度で弓を構える。
その曲を弾きこなすには相当の技量と情熱がいる。
だからこそ彼からの挑戦として受けて立つ。
瞼を薄く閉ざす。
甦るのは傲慢な顔、同好会の仲間であると同時に好敵手でもある、自分をも凌ぐ才に恵まれた蒼髪の青年の傲岸不遜な表情。
負けるものか。
静かな闘志に奮い立つ。
なめらかに弓を滑らせ、震える弦から最初の一音を紡ぐ。
演奏が始まる。
曲の名前は「深海」ー……暗く蒼い海の底をイメージさせる静謐さの中に、炎のような情熱の熾火を孕んだ曲。
冷静と情熱と。
二律背反する要素を巧みに取り込んだその曲は、深海の青と埋み火の赤の鮮烈なイメージを喚起し、否応なく奏者の実力を暴き立てる。
弓を握る五指が高みに昇り詰める衝動を御してゆるやかに滑る。
奏者に技巧の極みを要求する難解な曲調は、赤毛の青年本来の端正な音の輪郭を引き立て、狂おしく哀切な響きを持たせる。
次第に音の硬さがとれ、深海の静謐な水底に波紋が広がっていく。
演奏が佳境に達し、暗く冷たい海を月光の上澄みが冴え冴えと照らしていくー……
「これが、深海」
彼と彼の感性の結晶。