……単純な生存には何ら関わりの無い「美意識」だけが、私達の魂を動物からより高次の存在へと引き上げます。
そして私が生きる上でのこだわりは、如何にしてカタルシスの快さに耽溺するかということに尽きます。
そう、だからこそ私は自分を取り巻く全てが「皮肉な結末」へと向かうことを望むのです。
ああ、誰の意志も報われない悲劇的な結末の、何と趣深いことでしょう……。
>灯さん
多くの皆さんにとっては"フツウ"の日常は価値あるものなのでしょうけれども、私には関係ありませんね。
なぜって、私が価値を見出していないのですから、どれ程周囲が尊さを説こうと私にとっては無価値なんですよ……ふふふ。
…無価値の価値、か。なるほど、それについては同意できる。
当たり前のように呼吸している空気の価値、何も考えずに過ごしていく時間、
そして明日もそうだろうと信じる”ふつう”…。
人間、当たり前だと思っているものを失った時初めてその価値を認識するものだ。
でも、それでいいんだ。
誰もが無価値の価値を知る世界なんて…なんて言うか、不幸すぎる。
…僕は”ふつう”の価値を知っている。だから、それを脅かすものを、紅蓮に染め上げる。